★神主の遠吠え日記☆

2006年06月18日(日) 必見!�編�

昨日の�編�関連について、長くなりますがご参考に。

《大阪日日新聞引用開始》
澪標 ―みおつくし―
大阪府文化財愛護推進委員
足代 健二郎
靖国−「分祀」と「分遷」
 靖国・A級戦犯の問題がいつまでもくすぶり続けている。
 今回も(昨年十二月十三日付『澪標』同様)「ゴマメの歯ぎしり」だが、靖国神社さんには「いいかげんにしてくれ」と言いたい。
 ことは今から二十八年前の昭和五十三年、時の靖国神社・松平永芳宮司の独断専行に端を発する。昭和天皇は松岡洋右(三国同盟を結んだ外相)がお嫌いで、彼を含む(いわゆる)A級戦犯の合祀(ごうし)には不同意のお気持ちだったらしい。そのため前任の筑波藤麿宮司は合祀を保留して「鎮霊社」(昭和四十年創建)という境内社に、同四十一年その霊を祭ったが、その跡を継いだ<松平宮司は昭和天皇のご意向を無視して本殿への合祀を断行した、といわれている。(『侍従長の遺言』『現代史の対決』などによる)
 この(いわゆる)A級戦犯の人たちに対して、神社側ではB・C級の受刑者をも含めて「昭和殉難者」と呼んでいる。わたしもその呼び方が一概に不当だとまでは思わないが、(そこで、以下『A級被告人十四人』などと仮称する)わたしのような凡人の感覚からすれば、A級被告人の合祀は今次の大戦が昔話になるくらいまで、半永久的に保留しておくべきだった、と思う。幸い、この人たちを祭る「殉国七士廟(びょう)」というものも立派に存在する。(三河湾国定公園・三ケ根スカイパーク・三ケ根山頂=標高三五〇メートル。昭和三十五年創建)
 問題のA級被告人十四人のうち、この七士廟に祭られているのは東條元首相ら絞首刑になった七人だけである。刑期中に病死した五人、松岡元外相ら判決前に病死した二人の人たちは七士廟には祭られていない。しかし、どうしても必要というなら適当な場所に奉斎すればよいのであって、戦死者を主たる祭祀(さいし)の対象とする靖国神社に無理やり一緒に祭る必要はない。
 では、すでに合祀してしまった十四人の霊をどうするか−。神社側では、「本来教義・経典を持たない神道では、信仰上の神霊観念として諸説ありますが(=靖国神社見解)」(1)いったん合祀した霊魂は合体して不可分となるので、特定の祭神だけを切り分けてほかの場所に移すということは神道の信仰上絶対にありえない(2)「分祀(ぶんし)」とはろうそくの火を別のろうそくに移すのと同じで、移しても元の火(霊)は無くならない−と言っている。
 確かに「分祀」の一般的な意味は(2)の通りである。(全国の八幡宮・天満宮などがその例)しかし、靖国問題の場合の「分祀」は、複数の祭神の一部を分離して別の場所に移す、すなわち「分遷」の意味で使われており、この「分遷」は国史上に確かな例証がある(『続日本紀』大宝二年二月己未の例)。従って、「分祀」の意味をことさらに限定して論点をそらし、問題をこじらすべきではない。
 そもそも勅祭社たる靖国神社の場合、祭神の増祀には勅裁を仰ぐ決まりとなっていた。戦後、独立の一宗教法人となったとはいえ、明治天皇による創建という由緒を考えれば、一宮司や総代会の勝手気ままが許されるというはずがない。一般人ならともかく、神道を奉じる神職たる者が叡慮にそむいて合祀を強行するなど道に外れた言語道断の所業というべきであろう。
 その結果が、今日の混迷につながっているのである。上記(1)の信仰上の論理は一応理解できるとしても、合祀強行という出発点が正当性を欠いていたのであるから、ここは率直に合祀前の状態に戻すべきだ。すなわち、A級被告人の神霊は新たな御霊代(みたましろ=御神体)を調製してそれに移し、境内の「鎮霊社」に復祀(=神霊を元の社に戻すこと)して丁重に祭ればよい。ほとんどの遺族も、多くの国民も納得すると思う。
《引用終了》

上記の足代氏の記事に対し、神社関係のMLで反論といいますか、的確で分かりやすい投稿がありましたのでご紹介します。尚、独断で引用していますので個人を特定できる言葉は削除しています。

***************《引用開始》
端的に結論から申しますと、続日本紀の記述を例証として取上げていますが、全く適切とは考えられません。
さて、ご指摘の通り、足代氏の記した『続日本紀』文武天皇大宝二年二月己未条には、伊太祁曽神社に関する初見記事です。
「(前略)是日。分遷伊太祁曽。大屋津比賣。都麻津比賣三神社。」
(是日、伊太祁曽、大屋津比賣、都麻津比賣の三神社を分ち遷す)
足代氏はこの記事の「分遷」を「複数の祭神の一部を分離して別の場所に移す」とし、靖国神社の祭神分祀はこの意味でなくてはならないし、過去に実例があるのだから可能である。と論じておられますが、全くの見当違いであると言わざるを得ません。
伊太祁曽神社は、五十猛命、大屋都比賣命、都麻津比賣命の三神を主祭神として祀っています。
『続日本紀』の記事では、どこからどこに「分遷」したか詳らかではありませんが、いずれにしてもこの3神を別々に祀ったと読み取ることはできます。
伊太祁曽神社の周辺には、大屋都姫神社(主祭神:大屋都比賣命)、都麻津姫神社(2社)・高積神社(以上、主祭神:都麻津比売命)などが鎮座しており、「複数祭神を別の場所に移」したのは間違いないことでしょう。
しかしながら、現在伊太祁曽神社ではこの3神を祀っております。
また、この「分遷」によって創建されたと考えられる、上記神社でも、残りの2神を配祀しております。
「分遷」した結果、3神を祀る神社が増えたということになります。
また、伊太祁曽神社は、本殿に五十猛命を、両脇殿に大屋都比賣命・都麻津比賣命をそれぞれ祀っております。即ち、祭神は3座です。
ところで、靖国神社の場合は祭神数は約250万柱を数えますが、1座に鎮まっておられます。
文武天皇の時に、伊太祁曽・大屋津比賣・都麻津比賣の3神が1座から「分遷」したのであれば、靖国神社の場合も「可能」ということもできましょうが、3座を分遷したのですから、全くもって状況が異なるといわざるを得ません
。
以上のことから鑑みるに、大宝二年の伊太祁曽神社「分遷」記事は、靖国神社より「昭和殉難者だけを取り分ける主旨」の祭神分祀論には何の意味もないということです。
また、足代氏は昭和殉難者の鎮霊者合祀という「妙案」を出されているようですが、中韓に配慮して「分祀」を行うことが主旨であるならば、火に油を注ぐような愚見であることを申し添えておきます。
*********************《引用終了》

また別の方。

*********************《引用開始》
1、靖国神社の御祭神は単数です。
(単数とか複数とか物のやうな言ひ方はしたくないのですが)
伊太祁曽神社の御祭神と靖国神社の御祭神の相違を明快に述べられてゐる通り、靖国神社の御祭神は一座です。分かりやすく申せば「靖国大神」といふ単数御祭神です。
靖国神社の御祭神は「246万柱」と申しますし、ご遺族が御参拝になられますと「靖国太郎命と御名を宣別けて」と祝詞奏上しますので、混乱される方もをられますが、246万の命が一体となった御祭神であり、遺族参拝の際には靖国太郎命と御名を宣別けてゐるだけなのです。あくまでも一御祭神です。
一祭神であることを確認すれば、中曽根さんらが言ふ「分祀」、また今回始めて接しました「分遷」の前提が成立しないことは明らかです。
為念、各護國神社の御祭神は靖国神社の御祭神を分霊、分祀、分遷したものではございません。各神社が当該御出身の神霊を招魂合祀してをります
。
2、蛇足
今更本件の発端であるあじろ氏の論について申す必要はありませんが、あじろ氏の論は「松平永芳宮司の独断専行」始め事実に基づいてをりません。延いては昭和天皇様の大御心まで三流史料に基づいて勝手な邪推をする、正に「言語道断の所業」であります。
今世間では靖国神社をめぐって種々論議されてをります。ためにする論、特定イデオロギーに基づいた論いづれも事実に基づかないものがほとんどです。
一例だけ挙げます。
昨日新聞紙で「『国立追悼施設を考える会(山崎拓会長)』中間報告」が掲載されてゐましたが「靖国神社には戦死者でないA級戦犯が合祀されている」とあります。
昭和27年4月28日までは日本の主権のない占領体制、その時期敵国の戦争裁判によって刑死された所謂「戦犯」の方々は「戦死」同等です。他国民を死刑にすることができるのは占領体制=戦時だからです。
また靖国神社には刑死された方々(吉田松陰命、橋本左内命、…)、戦死でない方々も大勢祀られてゐます。
ご参考までにこの中間報告には「国として戦没者の追悼と平和祈念を行う場合、海外とりわけ近隣諸国からどう受け取られるかも十分配慮する必要がある」とあります。
*********************《引用終了》

いかがでしょうか。
座、柱、神等専門用語がありますが、概ね御理解戴けるのではないでしょうか。
ろうそくの火のたとえがありましたが、一つのろうそくから別のろうそくに火を分けることはできる(分霊)がもとのろうそくの火はそのまま残る。
しかし一つのろうそくから青い火だけを別に分けることはできない、ってことでしょう。
ただ単にいわゆるA級戦犯をはずせばいい、という簡単なことではありません。


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