| 2006年04月01日(土) |
起立っ!礼!さよなら! |
何しにいってんの! 橋本やら高村やら野田!国会議員(元も)の特定アジア訪問を禁止する法律でもつくって渡航できないようにして欲しいわ。 むこうさんから出てくる言葉はいつも同じ。「日本の指導者の�編∋嫁辧繊廖嵶鮖砲魎佞箸靴董繊� 進歩がないとはこのこっちゃ!同じこと言うやつも言うやつやけど、同じ答えを貰いに雁首揃えて行くやつも行くやっちゃ。 どうせ安倍ちゃんおろしが目的で、媚中の福田に後継させたいためでしょ! やっと今日まできたのになんで中国に媚びる日本に戻したいんでしょうねぇ。もう帰ってこんでエエよ。さらなら。
永田君、今頃何なの?TVタックル出て、民主党の悪口でも言えば? ハイッ、貴方もバイバイ、さよなら。 前原さん、大変ですねぇ、ろくでもない議員を抱えて。表舞台からハイッ、さよなら。
「論壇」にこんなのがありましたので、ちょっと長いですが引用紹介します。 《引用開始》 国歌斉唱時には必ず起立せよ!「生徒にも徹底を」 都教委が通達 日本人の 「愛国心」 は? アメリカ・サンデイエゴで行なわれたWBC (ワールド・ベースボール・クラシック) の決勝戦で、日本がキューバを10-6で破り 「初代世界一」 の栄誉に輝いた。 野球王国のアメリカを始め、世界から16の国と地域が参加した。 試合の途中経過では紆余曲折あったが、日本チームは辛うじて生き残り、準決勝で韓国に6-0で快勝、決勝戦に臨んだだけに、選手たちの意気込みも、応援する人たちの興奮振りも最高潮だった。 日本が優勝した途端、グラウンド内に巨大な “日の丸” が担ぎ出された。 ピッチャーマウンドにも日の丸が敷かれ、それをTVカメラがアップで撮影していた。 日本国民が均しく感動した情景であった。 さきにイタリアのトリノで開かれた冬期オリンピックでは、女子フィギュアの荒川静香選手が日本で唯一の金メダルを獲得した。 彼女は日の丸を体に纏ってリンクを一周、優勝の喜びを誇示した。 総勢112人もの選手 (と、それを上回る付き添え人たち) を送り込みながら、日本勢は各競技でメダルに届かず、惨敗を重ねた。 最後にやっと手に入れた金メダルだった。 荒川選手は表彰台で、国歌の演奏に合わせて “君が代” を口ずさんでいた。 日本では多くの学校で3月は卒業式、4月には入学式が行なわれる。 この時期には学校の他、公的機関などでもさまざまなセレモニー (儀式) が行なわれる。 その際、殆どの式場には国旗が掲げられ、全員で国歌を斉唱する。 全員が起立して、敬虔な気持ちで国旗と国歌に敬意を払う。 日本の国民としての誇りと栄誉を自覚する 『文化的行事』 の一環でもある。 こうしたことはどこの国でも極めて自然な行為として受け止められている。 また、オリンピック・ゲームだけでなく、各種の国際的な催しなどでも、関係する国の国旗や国歌に対して、自国のそれと同様に常に節度をもって敬意を払うことが求められる。 それが国際間の礼儀であり、ルールでもある。 ところが、このほど東京都の教育委員会が都立の各高校長宛に、ある 『通達』 を行なった、という。 それは、学校行事等のセレモニー (儀式) で、国歌斉唱時には、 「必ず起立をするよう生徒への指導を徹底することを命じる」 という内容であった。 これは去る3月上旬に行なわれた、ある都立高校の卒業式で、生徒の大半が起立しなかった実例があったことを受けたものである。 これだけで驚いてはいけない。 都の教育委員会は、去る03年の10月にも 「国歌斉唱時には教職員自身の起立を義務付ける」 通達を出していたのだ。 それは、現実にそういう教職員がいることを裏付けている。 教職員自身が、国家斉唱時に起立しなければ、生徒たちが起立する筈がない。 日本の将来を担う青少年を指導する立場の教職員が、極く一部であれ、このような “指導” をしている事実があるから、今回の様な通達が再度発令される事になる。 国家斉唱時に起立しなかった等の理由で懲戒処分された教職員は、先の通達後もあとを絶たず、その中には今年の1月、学校の創立30周年記念式典で、意図的に起立しなかった女性教員 (停職1ヵ月の処分を受けている) を含めて、東京都だけで昨年度には約50人もいた、という。 今回の通達によって、教職員自身の起立はいうまでもなく、生徒の不起立に対しても教職員の指導が不適切と考えられる場合には、その教職員が懲戒処分されることを示唆している。 いっぽう、日本政府は今国会で教育基本法の改正案を提出しようとしているが、その中で 「愛国心」 をめぐって、与党内でも意見が分かれているようだ。 合意の取り付けに向けてなおハードルが高い、と伝えられている。 それにしても、自国の国民を育成する立場の教職者に対して、ことさらに 『職務命令』 を出してまで、国歌や国旗の扱い方まで指導の徹底を計らなければならないというのは、奇異に感じ、他事ながら残念に思う。 これまで日本の学校や家庭では 『国と国民・個人』 にかかわる概念について、何を、どれだけ、どのようにして刷り込まれ (教え込まれ) そして理解されてきているのだろうか。 個人そして最少の集団単位である家族、個人が係わる集団・組織、地域社会、自治体、国家、国際社会との関係など、明確に理解している人はどれだけいるのだろうか。 国家斉唱時には起立を促す、ということは、単に立ち上がれば良いということではなく、基本的な 『しつけ』 や 『一般社会的教養』 の涵養、そして 『民族の文化と誇り』 とも連繋して考えられる事である。 一部であれ、自分の帰属する国家に対する愛着の念を否定するような行動をとる教職員たちは、彼ら自身の信念に基ずいて行動しているのだろうが、彼らは国の将来を担う多数の生徒に直接影響を与える立場にある、ということを忘れてはならない。 「自分のやりたいことは、何時でも、どこででも自由にやる」 「自分の気に入らないことは、全否定する」 「権利は主張する。 が、義務は果たしたくない」 「既存の価値観に縛られず、自分の価値観で判断して何が悪いのか」 などという自己中心的な風潮が広まってきている要因とも、どこかで繋がるような気がするのは私だけだろうか。 もっとも、これらの根底には、学校教育だけでなく、日本社会全体が辿ってきた、幾つかの副次的な要素があるのも事実だが、ある日本の友人はこう言う。 「でも、悲観することはないよ。 わざわざ国歌演奏時には起立せよ、とか “愛国心” の涵養などと殊更に言わなくても ・・・。 国際的な競技を見給え。 ごく自然な形で、多くの日本人は国家を背負って情緒的に喜怒哀楽を示しているのだから。 日本人は日本人としての誇りに満ちた愛国心と自信を立派に持っていると思うよ」 トーマス・J・ナーサム 《引用終了》
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