月に舞う桜

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2018年07月26日(木) 2016年7月26日を忘れないで

相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件から、丸2年。
19名が殺され、27名が重軽傷を負った。
あの事件を、どうかみんな忘れないでほしい。
2016年7月26日という日を、覚えておいてほしい。

そして、考えてほしい。
「意思疎通の出来ない重度障害者は社会に不幸をもたらすだけだ」との思想は、植松聖だけのものなのか。
同じような思想、同じような思考、同じような空気、同じような眼差しが社会に広がってはいないか。
実際に殺すことはしないまでも、自分は心の奥底で誰かに対して「価値のない人間」と思ってはいないか。

障害者だけではない。
女性、子供、高齢者、子連れ、低所得者、同性愛者、外国人、トランスジェンダー、生活保護受給者、年金生活者、同和地区出身者、特定の職業に就いている人、病気の人、ちょっと変わった人、コミュニケーションを取ることが難しい人、大多数とはコミュニケーションの取り方が違う人、無職の人、ホームレス、無戸籍の人、学校に通えなかった人、何らかの犯罪被害者……etc.

誰かに対して、ある集団に対して、「生きる価値がない」とか「他より劣る」とか「声を上げずに社会の隅っことでおとなしくしていればいい」とか、そういう眼差しを向けてはいないか。

あるいは、例えば「障害者でも優秀な人はいるから、一概に価値が低いとは言えない」のように、ある集団の中でも(自分が勝手に決めた)条件を満たす者だけに価値を認めたりはしていないか。


日本には、1996年まで優生保護法があった。
「不良な子孫の出生を防止するため」と謳ったその法律のもと、障害者に対して強制的に不妊手術が行われた。

2016年、施設職員だった植松聖は「障害者は不幸しか生まない」と言って、19名を殺した。

2018年、国会議員の杉田水脈は、「LGBTは生産性がない(子供を産まない)から、税金を投入して支援する大義名分がない」と雑誌に書いた。
それについて杉田を公認している政党の幹事長・二階は、「人生観はいろいろ」と言った。

国会議員の小野田紀美は、「国民の義務を果たしていれば権利を主張して良いと思う」と言った(小野田氏のツイッターより)。
杉田水脈への反論のつもりだろうが、権利を義務の対価ととらえている点で、つまり人が生まれながらにして持っている権利というものを蔑ろにしている点で、杉田とも二階とも同じだし、植松聖とも同じだ。


去年の7月26日、私は『この事件は、「障害者の話」なの? 本当に?』と書いた。
優生思想、排他感情、憎悪、それらは、いつ誰に向けられるか分からない。

やまゆり園の事件から丸2年が経った今日、オウム真理教の死刑囚6名に対して刑が執行された。
杉田は党から公式に何らの非難、注意もされていない。
朝から、小野田の「義務を果たしていれば権利を主張して良い」とのツイートを見てしまった。

いろいろなことが頭の中で繋がってしまい、気が滅入る。

みんな、どうやって絶望や失望せずに、あるいは絶望や失望と闘いながら、生きているんだろう。

忘れないでほしい。
2016年7月26日、19名の障害者が殺された。


●相模原殺傷2年 明かせぬ実名、遺族のジレンマ 障害者への差別…消えぬ不安
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180721-00000546-san-soci

●【やまゆり2年】ダウン症の娘持つ社会学者、被告と面会し手紙
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180725-00027964-kana-l14

●やまゆり園事件と強制不妊手術【上】
http://www.kanaloco.jp/article/348728


桜井弓月 |TwitterFacebook


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