月に舞う桜
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| 2006年03月20日(月) |
好きなものに囲まれて、私が私でいられる場所に |
こうやってふらふらしてられるのも、あと2週間だ。ちょうど2週間。 『東京タワー』と言えば私にとってはもちろん江國香織なのだけど、世の中的にはリリー・フランキーなんだろうか。そんなことを考えながら、テレビを見ていた。 テレビでは、パラリンピックが閉幕するという話。大日方選手を始め、メダルを獲得した人たちをざっと紹介していた。あの座って滑るスキーは、私なんて見てるだけで怖くなってしまう。あれをやってみようとするだけでも賞賛ものだと思う。その話題の締めに、コメンテーターが「事故に遭ったりして障害を持ってもこうやって頑張っている人を見るたびに、健康なのにだらだらしている人たちがいることを思うと嫌になる」という趣旨のことを言っていた。あーあ。何なの、その視点。世界大会でメダルを取ったという話を、何でそんな次元に下げちゃうの。世界で一番(あるいは二番、三番)になったんだもの、そりゃあ、とんでもなくすごいことだよ。並大抵の努力じゃそこまでいけないよ。でも、彼らへの正当な拍手は、ただ純粋に、彼らの世界トップレベルの才能と努力と情熱と実績に送られるべきだと思う。「障害があるのに頑張ってるから」じゃない。そんな枕詞をつけたら、却ってメダルの価値が下がっちゃうよ。障害者限定のパラリンピックなら、なおさらね。出場者全員が障害を持っている中で、「障害があるのに頑張っている」も何もないもんだ。女子が男子のゴルフツアーとか男子の野球チームに混じって活躍したり好成績を残せば、「女子なのにすごいね」ってなるけど、純粋に女子の試合だったらそんなこと言わないでしょ。 「頑張る」っていうのは絶対的なものであって、相対的なものではない。事故や病気から必死に努力して這い上がってきた人たちはもちろん頑張ったさ。でも、だからって、そうじゃない五体満足で何となくいい加減にやっているように見える人が頑張ってないなんて、どうして言えるだろう。生きている限り誰にだって越えがたいような壁はある。そこを乗り越えたり迂回したり共存したりしながら日々生きている。生きているというだけで、私たちは皆等しく「頑張っている」のだと思うけどな、私は。人の人生って、他人には分からない。だらだらしてるように見える人だって、本当のところは他人である私たちには分からないじゃない。 それに、自分の人生なんだから、別にだらだらしたっていいんじゃない? 赤の他人が頑張ってるからって、自分まで今以上に頑張らなきゃいけない道理はないよ。人生の責任を負うのは自分なんだし。 だいたい、「障害があっても頑張っている人がいるんだから、健常者も頑張らなきゃ」と言うのは、そもそも障害者を下に見ていることに他ならないのでは? 私に言わせれば、「障害者をなめんなよ?」って感じ。だって、「小さいのに一人でお使いできて、えらいね」と同じ理屈じゃないの? こんなふうに思うのは、私がひねくれ者だからだろう。だけど、さっきのコメンテーターのような発言は本当に不快。たぶん、障害当事者でも不快に思わない人のほうが多いのだろうけど。まぁ、こんな人間も中に入るってことですよ。 中学のとき、障害を持つ女の子を準主役にした小説を書いた。それを読んだ私を知るある人は、「健気に頑張る弓月像」を勝手に作り上げていて、小説の出来以前に「そんな弓月がこれを書いた」ということで頭がいっぱいになって涙したらしい。それを聞いたとき、私はひどく屈辱的だった。ドキュメンタリーじゃないよ、小説だよ。泣かれてもちっとも嬉しくはなかったし、正当に評価されていないと思った。私のことを知らない人に小説を認めてもらいたい。そう思うようになったのは、それがきっかけだったのかもしれない。桜井弓月がどういう人間かなんて全然知らない人が、私の書いた小説を読んで「桜井弓月ってよく知らないけど、これ、何かいいね」と言ってくれる。それが、私にとって「本当に純粋に小説を認められる」ということだ。この基準はいつか変わるのかもしれない。ただ、今はそう思っている。自分のバックボーンを知らない人に評価してもらえるのは、大雑把な括りで言って「芸術」しかないような気がする。だから、小説を評価されることは私にとって特別な位置を占めるし、的を射たものなら批判さえ、私の存在を認める歓迎すべきものに当然含まれる。
午前中はケースワーカーさんがいらした。4月からヘルパーさんを頼むので、その相談のためだ。4月から法律が変わることもあって、区役所の方でもバタバタしているらしい。担当のケースワーカーさんは何かとこちらの身になって考えてくれて提案もして下さるのでありがたい。どんな法律ができても、やはり最後は現場の人の意識次第なのかもしれないと感じた。10月(9月?)からは障害者支援も介護保険に近い形になるそうで、支援申請をしたときの審査がものすごく細かくなると聞かされた。面倒くさいなぁ。必要な審査ならいいけど、「どうでもいいじゃん、関係ないじゃん」と思うような質問はやめてほしいよね。質問するケースワーカーさんだって心苦しそうだし。
お昼ご飯を食べたあと、通勤用のA4バッグを買いに横浜へ行く。 マルイにもそごうにも行ったけれど、気に入ったものがなくて途方に暮れた。デザインはいいけど使い勝手がいまいちだったり、機能的にはいいけど望む色から遠かったり、デザインも機能も申し分ないけど完全に予算オーバーだったりと、いろいろ難しい。本当に「これ!」と思えるものじゃないと高いお金は出したくないし長く使いたいから、妥協はできない。 ずいぶん時間が経ったし疲れたし、今日はもう見つからないかなぁ、でもどうしても入社までに新しいA4のバッグがほしいんだよなぁ……と思案して、ダメ元で高島屋に行ってみることにした。 そうしたら、4℃のバッグに出会えたのですよ! 以前、Pinky&Diannneが好きだと書いたけれど、4℃もかなり好き。そごうの4℃には置いていなかったタイプのバッグが高島屋にはいくつかあって、諦めないで来てみて良かったなぁと心底思った。人生、諦めたらダメなのだ! と、こんな場面で学び直す私。 華原朋美に似た店員さんが押し付けでない程度の親切さと丁寧さでいろいろ見せてくれて、じっくり吟味した結果、最初に目についたものを買うことにした。色は青みがかった爽やかな白で、内側の生地は深い色のマリンブルー。仕切りと十分な内ポケットがあり、使いやすそうだ。もちろん、A4サイズがすっぽり収まる。 私はこうして、るんるん気分で家に帰った。この4℃のバッグをお供にすれば、仕事が楽しくなりそうに思えた。 好きなものに囲まれて、私は新しい環境への不安を和らげていく。そうやって、どこも歪めずに無理のない私でいられる場所を作っていく。
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