私の雑記帳
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| 2008年05月22日(木) |
再び、自己愛バカ出現 |
人の話は聞かずに、勝手に自分の世界に入って「ひどい」を連呼するバカ。こちらの主張に理論的に反論できないでいて「こんなに心配してあげているのに!」の一点張りで、話が堂々巡りになる。この手のバカは、初めてではない。なにせご本人、自覚症状はないが「自己愛」の人なので、大事なのは本当は自分限定なくせに、それを「自分が」「こんなに心配している」というバカの一つ覚えを押し付けがましいったらない。
バカの厄介なところは自分自身も本気で「心配してあげている」と錯覚しているところにある。正しく心配してあげるというのは、相手の対場に立って、相手がなにを、どう困っているか、を汲んであげることから始まるのではないか? わからなければ、まず相手の話を聞く。 バカはそういうことが、わからない。自己流で単細胞的で、自己満足的な心配の仕方しかできない。 自分の卑怯な部分を指摘されると、とにかく「意地悪」だとか「ひどい」を連呼。反論にも言い訳にもなっていない。そういうところはお茶を濁して逃げる。そのずるさに自分は気がつかない。 稚拙な言葉遣いだったとしても、真剣さ真面目さというのは必ず伝わるものだと思う。相手が何を思っているかよりも「私がこんなに心配しているのに」という、まず自分の表向きな態度を最優先に主張する。馬鹿馬鹿しくて話にならない。そういう人間に限って、最後はほどほどにキレて自分から土俵を降りるのだ。厭味かと思うような「お元気で」みたいなセリフを残して。勿論こちらは最後はノーコメントで相手にしない。
そんなふうに別れても必ず!絶対!に、そういう奴ほど、あとからほとぼりが冷めた頃に「謝って」くる。もうわかりきったことである。しばらくはこちらが何か反応してくるだろうと(あるいはこちらが謝ってくるだろうと)待ち構えていたに違いない。それが音信不通のままなので、だんだん慌ててくるわけだ。自分が蒔いた種だというのに。
しかし何を謝っているのだろうか。とりあえず謝っとけ、みたいな感じだろう。何のことについてどのように謝りたいのかは何もない。そこを突っ込んでみたいが、バカをいじめても正しい答えは思いつかないだろう。
結局今のところ私は無視を決め込んでいる。今のように余裕のある心持ちで「バカめ」と思っているうちはいいが、バカの発言とわかっていてもやはり腹が立つものである。そんなバカを精神的にぶちのめしてやりたいという残虐な気持ちが時々浮かぶが、恨まれるのも割に合わないし。
とにかく私の過去の経験による勘が当たっていてよかった。 じれてまた向こうから何か言ってくるかも知れないし、あるいはもう諦めるかもしれない。(私は前者だと思うが) 私が「ごめん、私も言いすぎた」などと言うのが、向こうにとってのベストアンサーなんだろうと思う。口先だけで言うのは簡単だが、それでは大変に虚しい。
しかしこんなバカについて熱く書き散らかす私も、利口ではないな。
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