* たいよう暦*
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小学校高学年から、高校2年生くらいまで。 同い年のいとこと、いわゆる「文通」というものをしていました。
大阪ー京都なんて、今ではひとまたぎ(!)ですが、小さな頃は遠く遠くの、異境の地。 その「異境の地」から届く手紙を、とても心待ちにしていました。 たぶん、いとこも同じ気持ちだったでしょう。 一番話すことが多かった時には、一週間に一通の割り合いで、書簡をかわしていたこともあります。
学校でこんなことがあった。 今日は家で怒られてくやしかった。 今こんなことがはやっている。 私はこんなことを思っている。
たわいのない内容でしかありませんでしたが、同じように成長を重ねたせいでしょう、いろんな葛藤やいろんな壁やいろんな思いを語り合ったものでした。
お互いいろんな世界を持つようになった頃から、自然と「手紙を書く」ことが少なくなりました。 電話で話すことも、会うこと自体も、どんどん減っていきました。 わだかまりができたわけではありません。 たくさんのものを、お互い外にみつけて、お互い違う世界に興味を持ち、共有する世界から同じ時期に旅立ったのだと思います。
「げんきー?最近またさむいなー。風邪ひいてへん?」 私の携帯に届く、従姉妹からのメール。 「げんきやよー。最近はなにやってんのー?私はこの前比良山にスノーシューにいったよ」 たわいのないやりとりが、最近復活しました。 お互いの世界を持った上で、またお互い共有できる世界もみつめられる余裕ができたせいもある。 そして、なんといっても、気軽にメールできる携帯をお互いもつようになったという環境の変化が大きい。
同い年の従姉妹と携帯メールのやりとりは重ねられても、休日が違う為に、いまだにゆっくり会えずにいる。
お互いいろいろあって。 いろんな環境の変化を乗り越えて。 たくさんのいろんなものを作り上げて、たくさんのことをお互いが知らないところで重ねてきた。 まだ、語りきれていない、語り初めてもいないことがたくさん、ある。 きっと、お互いに。
兄弟でもなく、友達でもなく、同い年の従姉妹は子供の頃から、特別な存在だった。 今もこうして、同じように年を重ね、離れていてもつながっていることを不思議に思う。
「一回ゆっくり会おうよ」 そう誘ったことは、まだ、ない。 「会えたらいいね」「そうだねー」 でいつも終始してしまう。 特別だから、同い年だから、なんだか照れてしまうのかも。
「春がすぎて、休日がとれるようになったら、一度ゆっくり会おうよ」 今度、誘ってみるつもり。 そして、お互い重ならない世界を生きてきたここ数年を、ゆっくり語り始めたい。 特別な存在は、やっぱりいくつになっても、「特別な存在」。 早くそれを取り戻したいような、もう少し眺めていたいような、そんな、微妙な気分。
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