こんな一日でした。
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2005年12月09日(金) 福音

友人のネット日記を読んで、いろいろ考えた。

その友人は子供の頃見た戦争もののドラマを見て、原爆を追体験した。そのことで、戦争物恐怖症になったそうである。
「長崎に二度訪れたが、原爆資料館には近付くことすらできなかった。原爆資料館を見学は「日本人の義務」と叱責もされたが、本当に私は駄目なのだ。」と綴っている。

「日本人の義務なのに」と叱責した人は、彼女が本当に、戦争を「自分のもの」と感じているということを、理解できなかったのだろう。私も、小学校で広島のドキュメンタリーを見せられ、しばらく晴れた日が怖くなるという経験をした。クラスには、泣いている子、吐き気をもようした子もいた。

その後、土門拳が広島を撮った写真を見て、そこに写された人々の力強さに、とても驚いた。戦争のただ中に暮らす子供の活き活きとした笑顔。そして、なによりも、画面いっぱいに写された傷口の写真の「美しさ」(←としか言いようがないのです)。

残酷で、最悪で、おぞましい戦争のなかにあってすら、子供は笑っている。傷を負っても生きようとするし、生かしたいと願うのだ、ということ。そのことが、カメラマンとして命をかけて撮影する土門の眼を通して、私の胃の腑にどすんと来た。

学校で見せられた映画と、土門拳の写真、被写体は同じ広島。同じ原爆体験者達の姿であるはずなのに、私には全く違う感覚が沸き起こった。片や、その姿を忘れたいと思い、片や、その姿を心に刻んでおきたいと願った。あれからずいぶん過ぎたけど、私は広島と聞けば、あの、頬に刻まれた大きな傷の写真を思う。

傷つけられたら、人はどれほど苦痛を感じ、恐怖を感じるかを知ること、想像することは大切だ。しかし、人はどれほど生きていたいと思う存在か。幸せになろうと願っている存在か。笑ったり、楽しんだりしている時、人はどんなに素敵なものか。そういうことを、体感することは、はるかに「平和を願う」ことにつながるのではないか、と私は思う。

友人の見たドラマのタイトルは「終わりに見た街」。
「私の心臓が最後の鼓動を刻む時、私の瞳は何を映しているだろうか? 願わくばそれが、地獄絵図のような世界ではなく、大好きな人達の顔か、抜けるような美しい青空であって欲しい」と、彼女は日記を締めくくる。
「エゴかな、と、昔は思ったけど、今は大事なものは?と聞かれたら、胸を張って家族と答えます」「大事なものは、家族と犬」そんなネット友達もいる。

戦争は、ときおり、致し方なくやって来る。生まれた時から、戦争のなかに生きている子供達もたくさんいる。もしかして、人は戦争をやめることはないのかもしれない、と、思うこともある。しかし、どんな状況下にあっても、親しい人の笑顔を見たいと願い、家族の幸せを願って生きていたい、と私も思う。
そう生きてこそ、あの広島の子供のように笑うことが出来、あの傷を頬に受けながら、青い空を見上げることが出来るのではないか。

恐ろしい傷を付けもするし、それを必死に癒そうともする。どちらも人間の本性なのだと思う。私のなかにも、きっと、荒れ狂う攻撃性というものは潜んでいるのだろう。しかし、地獄のようなあの広島のなかで、はち切れんばかりに活き活きと笑う子供。あの子供は、生きるということの福音だ。あの子供を、私たちは自らのなかに持っている。そう信じて、生きていきたい。それを守って、生きていきたい。


Oikawa Satoco |MAIL

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