優雅だった外国銀行

tonton

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41 BNP証券会社
2005年07月23日(土)

日本では、銀行と証券会社は別の会社であり、将来、銀行と証券の併設が認められるかも知れないが、1988年には、その可能性はまだまだ先の事であった。 諸外国では、銀行が証券業務を営むのは珍しい事ではなく、パリ国立銀行も本店には証券部がある。 1987年の日本の証券業界は、空前の好成績を上げていた時で、外国の証券会社も相次いで東京に進出している。 パリ国立銀行は一足遅れてしまった感が有ったが、1988年にBNP証券会社東京支店を、パリ国立銀行東京支店と同じ郵船ビルの4階に開設した。

銀行と証券の併設が認められてない日本では、例え元を辿れば同じ企業であっても、同一人物が両方の仕事をする事を厳しく禁じている事になっている。監督官庁も、同じ大蔵省であるが、片や銀行局であり、もう一方は証券局となる。 しかし、本店では、そんなことはお構いなしに、パリ国立銀行東京支店、大阪支店、それにBNP証券会社をまとめて、BNP日本グループと称し、そのトップにシュネイダー氏を置いた。

BNP証券に総務部も人事課も無い、それらの一切の事務が銀行に降り懸かって来た。 はっきりと決まっている訳ではなく、勿論、文書で銀行の総務部は証券の面倒も見るべし、と、書く事は出来ない。 だから、銀行の総務部では、こんなの自分達の仕事ではないと言い。 証券側の、特に数の増えた外人たちは、銀行の総務部に仕事を頼むと、何故不機嫌にされるのか分からないでいる。 彼等の多くは、証券も銀行も関係なく無く勝手に出入りしている。 BNP証券東京支店が開設された頃から、証券業の景気は下降気味になっていて、経費を厳しく切り詰める必要が有った。 そこで、編み出されたシュネイダー式節約法は、銀行の経費で必要を満たす事であった。 銀行では高くて導入出来ない高級コピー機や、銀行では中々買ってもらえないパソコンを、それもIBM PSー80という当時としては高級機を何台も証券会社のために買わされた。

問題の多い銀行のドライバー。 シャピュー氏は運転が下手で、特にアクセルワークがなってないと言って嫌っていた。 ルレー氏は大して文句は言わなかったが、タクシーに乗っていても、変な運転手に当たると「銀行のドライバーみたいだ」と言って笑っていた。 そして、ジュリアンは我慢出来ずに辞めさせようとしたが出来なかった。 シュネイダー氏も例外では無く、暫く文句を言っていたが、彼はあっさり車をやめる事で解決した。 総務部が引取った彼は、何をやらせても困難を極めたが、長い訓練の末、やっと使走員として60才定年まで首を繋ぐ事が出来た。




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