優雅だった外国銀行

tonton

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30 雨のち晴れ
2005年06月19日(日)

所悪の根源のモレオン氏が、大阪支店に配転になった。 後任としてシンガポール支店からやって来たチョビ髭を蓄えたスールミヤック氏は、まず、部屋の片隅に立ってぶつぶつ言う事から始まった。 全員の名前を覚えようとしていたのである。 そして、70人の名前を瞬く間に覚えてしまった。 次に彼がしたのは、机に透明ガラスを置き、その下に日本地図を広げて地名と位置を覚える事であった。 これも、大きな成功を修めた事がすぐに分かった。 ほとんどの地方銀行の本店所在地を、地図の上で指せるようになったのである。

どうした訳かこの銀行は、マネージャー達の交代が重なる。 シャントレル氏もモントリオールへ行ってしまった。 謙治は正直で飾らない、それでいて紳士的なシャントレル氏が好きであった。 奥さんに対しても優しすぎた彼は、謙治を困らせた事が一度だけ有った。

娘が可愛がるからと、秘書の家に生まれた子猫を貰って飼っていたが、子猫はいつまでも子猫でいない。 シャントレル夫人は、絨毯を汚すと言って猫を嫌った。 シャントレル氏は、そのことを随分悩んだ挙げ句、謙治に相談した、と言っても結論は出ていたのである。 獣医に頼んで処分して貰う事になった。 おとなしい猫で、食べ物が良かったのだろう、すぐに遺体となるボストンバッグに入ったその猫は随分重かった。

「これを注射すると、苦しまないんですよ」と言って、表参道近くのペット医院の若い男性獣医が涙するのを見て、謙治は自分が恥ずかしかった。

それ以外はとても良い家族で、これまでに見送って来たたくさんの家族の中でも、特に好きな部類である。 奥さんは、日本語の勉強に励んでいたが、上達が早く、モントリオールへ行っても日本語の勉強を続けると言っていた。 又、日本の食文化にも大変なお熱の入れようで、すしの勉強をしたからと彼女なりに握ったりしていた。 豆腐も好きであったが、食べられなくなると困ると言って、豆腐作りの道具を買って行ったほどだ。

マルタン ドゥ ボセ、これ全部が名字なのである。 カタカナで書くとこれだけだが、Martin de Beauceとなる。 フランス語で書くともっと長くなる。 英語のミスターはMr.で済むが、フランス語のムッシュウーは略すとM.だけになる。 そこで間違いを無くすためにフルに書くとMonsieur Martin de Beauce となる。 これにファーストネームだのミドゥルネームだのを付け加えると名刺の名前が2行になってしまう。 ミスター マルタン ドゥ ボセと呼んでみる。 やはり長すぎる。 本人も十分それを承知していて、ドゥボセだけにしてくれと言う。 だから名刺には、それだけしか入れてない。19090舛竜霏里蓮一見優しそうだ。 シャントレル氏の後任の副支店長である。 又しても、ドゥの付く名だ。 必ずしも全部がそうとは言えないが貴族の出なのである。フランス革命で王族が処刑されて久しいが、これ等「ドゥ族」は、未だに家名を大事にしているらしい。 ドゥ族同士だからか以前東京の総務から大阪支店長にもなったドゥ モンティーユ氏の友達だそうで、ブエノスアイレスに居る彼から謙治の事をいろいろ聞いているらしい。 早くも期待をされ過ぎている様だ。ドゥ モンティーユ家もそうであったが、ドゥ ボセ家もフランスには珍しい4人の子持ちである。

シャントレル氏の住んでいた平川町のアパートは、かなり広くはあったが、ドゥボセ氏の気には入らなかった。 彼の希望は一戸建てである。 それも子供達の学校リセー・フランコ・ジャポネーの近くに。

飯田橋付近にハイクラスな貸し家を見つける事は、1983年には難しかったが、やっと神楽坂に建築中の貸し家を見つける事が出来た。 出来上りを待って住む事になったのだが問題が耐えなかった。 ずっと以前、ジュリアン氏が最初に来た1968年に千代田区紀尾井町に借りた一戸建ての家は、高級木材の洋風建築で、堂々とした家であった。 しかし、建築後何年経っていたのか分からなかったが、かなり古い建物で、暖房、冷房、給湯のことで謙治は常に泣かされていた。 パラス氏が住んでいた時には、「起きたらお湯が出ない、顔が洗えない」と朝の6時頃よく電話で呼び出されたのであったが、それ以後、住宅を借りる時は、管理の行き届いている事を第一条件としていた。ドゥボセ氏の入居した神楽坂の家は、大木材企業の重役が内職で始めた貸し家業で、外人に家を貸す経験が無かった。 加えてドゥボセ氏は、何一つ自分では出来ない人であった。 「戸棚のネジがゆるんだから誰かよこしてくれ。」

言葉の分からない外国に暮らすという事は、経験は無いが謙治自身大変な事であろうと感じている。 だから、忙しい最中に問題を持ち込まれても、嫌な顔をしない様に努めている。 彼等の言って来る事は、実に雑多である。 出入国に関する事、これは謙治の業務の内だと思っている。 住宅の諸問題、自動車の購入から整備。 いずれの民族もそうであろうが、税金と言うと目くじら立てる人達に、何故何種類もの税金が自動車の架かるのかを理解してもらうのは容易な事ではない。 そして、頻繁に起きる自動車事故。 買い物、こんな物が欲しいが何処で手に入るか、どう行くのか。 子供が病気になった、どうしたら良いか。 テレビの映りが悪い。 テープレコーダーが壊れた。 週末には何処へ行ったら良いのか。 屋根から雪が落ちて盆栽を壊してしまった、雪が落ちない様にしてくれ。 そんなのが、いつの間にか9家族になった。

スールミヤックは、本店人事のランクでは高い方では無かったが、仕事は能率的に素早く片付けるタイプの人間であリ、整理整頓を他人に押し付ける事はしなかったが、彼の総ての物はきちんと整理され、何が何処にあるかを完全に把握していた。 彼は又、記憶力が異常と言える程高く、数ヶ月の内に東京の地理を、こんな所までと思うほど精通した。 何よりも謙治を驚かせたのは、彼が京都観光をしたあとであった。 謙治の経験では、「京都は素敵だ」と言って何度も行っている人でも、空ですらすらと神社仏閣の名前を言える外人は少ない。 大多数の外人たちは、神社も寺も区別が付かず、「たくさん同じ様な所へ行った」と、辟易して言うのが関の山である。 スールミヤック氏は、神社の名前を言うだけではなく、すらすらと京都の地図を書き、この辺に光悦寺、素晴らしかった、金閣寺はどうしてあんなに人が行くのだろう、あんまり好きでは無い。 嵯峨野の方は好きだ。 ペンは右へ来て、詩仙堂、銀閣寺、南禅寺と滑らかに出る。 謙治自身そんなには知らない。

仕事を素早く片付けてしまうスールミヤック氏は、銀行内を歩き回るのが日課であった。 誰が何をしているか、何処に無駄が有り、何処に何が必要か、一見ちゃらんぽらんに歩いている様であったが、実に良く気が付いていた。 そして、彼は決して密かに歩き回る事は無かった。 大声で「誰々さん元気?」「何々さん嬉しそうだね」。 だから、彼が隣の部屋に来ても分かるのであった。そんなスールミヤック氏も、上司に対するゴマスリは下手で、本店人事のランクが上がらないと言って、個室に鍵をかけて密かに泣いていた事も有った。





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