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■ 猫飼い【4】
「猫は元気か?」 大騒ぎの食事の中、隅に座ったロビンの隣について男が尋ねた。 余計な事を言うなとロビンが無言で男を睨みつける。 「誰も聞いちゃいねぇよ。戦闘中と食事中はな。」 「……昨夜気を失ってからまだ目を覚まさないわ」 「丸一日か?」 「ええ」 「やばいな。ガキの体力じゃしょうがねぇのかもな。死んでもおまえ、後なんか追うなよ」 「ばか言わないで。ペットにそこまで想い入れたりしないわ」 「ならいいのさ。おまえが死ぬと俺の仕事が増えて困る」 言ってまた猿じみた笑い声。今はそれさえ耳障りだった。何でここまでと思うほど気が立っていた。 「さてと、ごっそーさん。あーあ、おまえの分も仕事をしなきゃいけねぇから、しばらく大変だ」 「え?」 テーブルに掌を押し付けて立ち上がった男の言葉に、思わず視線をあげる。男はそれ以上何も言わなかったが、声をかける前に男の手が離れたそこに意識を奪われる。 どんな手段であの頑固な船医からかすめてくれたのか、解熱剤と鎮痛剤が一錠ずつ、置いてあった。 ありがとう、と言えば周りの注目を買ってしまう。だからその背中に少しだけ頭を下げた。 見えたわけでもないだろうが、男は手をひらひら振って応えてくれた。
この船でロビンが割り振られた役目は航海士の補佐だった。大きな船舶の中で航海士の資格を持つ者は多く居たが、中でも一際優秀な男の相方を任されていた。優秀だが面倒臭がりな男は、みるみる仕事を覚えるロビンをありがたがった。ロビンは、そんな彼に与えられた自由な時間を大事にしたかった。食事を済ませ、はやる気持ちを抑えながら静かな足取りで部屋に戻る。 ドアを開けると、またベッドは空だった。 目が覚めて勝手に抜け出したのか、クルーの誰かにバレたのか、どちらにしろ嬉しい状況では無い。ロビンはさっと辺りを見渡す。広くはない室内で、その姿はすぐに見つかった。 初めて見つけたときのように、部屋の隅で手足を固く丸めて、小さくなって眠っていた。髪や腕の隙間から僅かに覗く表情は、痛みか悪夢か、きつく歪んでいる。 そばに寄ると、ナミは足音に反応して弾かれるように起き上がった。 「誰?」 「忘れたの?」 そもそもお互いに自己紹介すらしていなかったなと、ロビンは的外れながらそう思う。 「……あ、」 意識がはっきりしだしたのか、少しだけ表情が緩む。けれど変わらず懐疑的な眼差しでロビンを見据えていた。あと一歩でもそばに寄れば、多分少女は自分を敵と認識するだろう。 あと少しくらい気を失ったままでいてくれればよかったのに、とロビンは内心で舌打ちする。意識のないうちに薬を飲ませてしまえれば楽だったのに。 「長い髪、邪魔じゃないの? こんな船に乗ってて。」 ナミは突然、不規則な息のしたでそう言った。痛みから気を紛らせたかったのか、それとも優先順位もままならないくらい冷静じゃないのか。どちらもだろう。 「そうね。手入れに時間をかけてる暇もないのにね。切ろうかしら。」 ロビンは自分の低い声ができるだけ穏やかに響くように努めた。腰まで伸びた長い黒髪を手に取り、そちらに意識を集中させているように振舞う。ほら、油断してるわよ。あなたに敵意なんてないの。 「似合うかしら?」 ふっと視線を戻してみれば、ナミは重たげな瞼をさげないことに必死だった。 「知らないよ、そんなの」 投げ捨てるように雑に言ったかと思うと、女の子らしい声で「似合うんじゃない」とも言う。 少女の中でたくさんの感情と言葉が渦巻いているのが見えた。 一歩を踏み出したのは、それを垣間見た気がした瞬間の反射だった。 「……!」 「怖がらないで、大丈夫よ」 まともな幼少時代を過ごしていないのはきっとお互い様なのだろうが、19歳の自分の体には、確かに母性が眠っていたようだ。 ナミはそれを敏感に感じ取り、海賊は敵だ、とせめぐ自分の感情がロビンの眼差しにじわじわと侵食されていくのを止められなかった。 「…………」 沈黙のやり取りの中で、ロビンは少しずつ距離を詰めた。上着から、携帯用の水のボトルを取り出す。ナミは懐に手を入れるその仕草に体を強張らせたけれど、何も言わない。自分の武器にも触れなかった。 ボトルを開けて水を口に含む。ポケットから薬を取り出し、解熱剤の方を確認して口に放りこむ。 ゆっくり身を屈めると、ナミも逸らさずロビンの視線を追った。 同じ高さで目を合わせ、目線を決して越えない位置から両手を伸ばす。ナミの耳の両脇から壁に手をついて、少女の幼い唇に自分の唇を押し付けた。驚いて反る喉に合わせて少しだけ腰を浮かせ、口の中のものを何もかも流し込む。それがナミの喉を通過するのを見届けてから、自分のシャツを握って息苦しさと戸惑いに耐える少女から身を離した。 「吐かないで。薬よ。」 指を喉に入れようとするのを制して、親指で濡れた唇を拭ってやった。 「ベッドに戻りなさい」 素っ気無く答えて立ち上がろうとしたとき、ナミがシャツを掴んだままだった左手に力をこめた。 「……なに?」 「いや、だ、」 「なにが?」 「夢、見るの、」 子供らしい、弁明じみたたどたどしさでナミは言い募った。今までになく感情を露呈させているのだと分かった。ロビンは押し隠そうとした母性がまた顔を出してくるのを感じた。 「……アーロンと関係があるの?」 「…………!」 「見たわ。肩のタトゥー」 ナミはそれっきりうつむいてしまって何も言わなかった。自分の母性もここまでだとロビンが溜息をつく。本能だけで技術も経験ももたない感情には、子供ひとりだって救えないのだ。 諦めの色濃い2人を繋ぐのは、力なくシャツを掴む小さな指と、それを振り払えない無力な腕だけだった。 しばらくして、薬が効き始めたのか無理がたたったのか、ナミはまた倒れこむように眠ってしまった。 ベッドの傍らに膝をつき、すっかり見慣れた寝顔を眺めながらロビンも静かに眠りについた。
2000年02月08日(火)
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