猫飼い【3】

 縫合を終えるとナミは気を失った。今度こそ疲れ果てたのだろう。
ロビンは自分のベッドで小さな呼吸を繰り返す少女に布団をかけてやって、そっと部屋を出た。目が覚めたときすぐに食べられるものでも用意しておこうと思ったのだ。
我ながら甲斐甲斐しいなと思う。
「どうした、楽しそうな顔して」
らしくもなく油断していた心の隙間に、声は突然滑りこんできた。今夜は縁があると思って振り返ると、男はにやにや笑っていた。
「可愛い猫でも拾ったか?」
「……見えてたのね?」
頭のいい男の表情も言葉もそれを裏付けていた。呆けても無駄だと悟り素直に息を吐く。気付いていながら見逃したと言うことは、今すぐどうこうする気もないだろう。
「おまえがどうでるか気になったんだ。助けるってのはひとつの候補だったが、俺の中では薄い可能性だった。面白いから事が起こらない限り見守っててやるよ。ほら。」
言って後ろ手に持っていた果物と粗末な弁当箱をロビンに放る。ロビンが受け取って見てみると、使い古された弁当箱の山の中にあっては、一番まともそうなものだった。男のおかしな気遣いに、思わず微笑む。
男はひらひら手を振って来た道を引き返していった。
「シツケはしっかりしろよ」


 部屋に戻ってみると、ベッドは空だった。
物を考えるより先に、視界を何かが凄い勢いで横切る。それが彼女の獲物だと判断したのは、ナミが低く搾った声を吐いたのと同時だった。
「油断しすぎ。私は泥棒だって言ったの、忘れた?」
「泥棒さん。大人しく寝てなさいって言ったの、忘れた?」
「言われてないよ」
「あなたが眠っているあいだに言ったわ」
「そんなの、覚えてるわけないじゃない」
予想に反して、ナミはくすくす笑った。声に誘われるように視線を落とすと、自分の首に武器を押し当てる少女は、可愛く微笑んでいた。
「この部屋つまんない。お宝ひとつもないんだもの。」
言いながらすっと武器を下げる。思えばその武器自体が少女には不釣合いだ。彼女の笑顔を見たら、今更そう思った。
「そんなに動いたら、折角塞いだ傷がまた開くわよ」
つかつか歩いてデスクの上にもらった食べ物を置きながら、手持ちぶさたなのか棒をくるくる回す少女を振り返る。
ナミはぱちんと棒を分解し、太もものホルダーに戻した。
「そうだね」
意外にもナミは素直に頷いた。頬が赤い。熱が出てきたのだろう。
「ご飯、食べる?」
「食べる」
素直なのは熱のせいか。
「いらっしゃい」
デスクの前の椅子を引くと、ナミは小さな歩幅でロビンのそばに駆け寄った。胸にも届かない少女の頭に思わず手を伸ばしかけ、猫は確か目線より上に手を出されるのが嫌いじゃなかっただろうか、と思い出す。咄嗟に手を返し、人差し指で顎のラインを撫でる。ナミは気持ちよさそうに目を細めた。
「どうしたの?」
「……なんでもないわ」
何食わぬ顔で首を傾げるナミに、ロビンは一瞬声をつまらせた。
「座って」
動揺を隠そうと、多少無愛想に言ってしまう。ナミは素直に椅子に座ろうとするが、腹に傷を抱えた状態で大人用の椅子にあがるのに苦心していた。ロビンが脇に手を入れ登らせてやると、触れた柔らかな脇からひどい熱が伝わってくる。そして子供なのだと改めて思った。傷をふさいでも、このまま熱があがり続け、明日の朝には冷たくなってるかもしれない。
「食べたら寝るのよ」
「うん」
この素直さが突然に怖くなった。もう何に抗う必要もないと、自分の結末を知ってるのだろうか。
「すごい、きれい」
弁当箱を開けて、色とりどりに詰められた料理に驚いていた。「ね?」とロビンに同意を求める。腕組みしながら深刻な顔をしているロビンを不思議がるでもなく、「そうね」と頷けば満足そうにしていた。ロビンは頭の片隅で、彼に料理なんて出来ただろうか、いや、外の宴の料理を詰めてきてくれたのだろう、と、取り留めないことを考えていた。
「おいしーよ。あんたも食べる?」
「私はもう食べたあとだから大丈夫。全部食べていいわ。」
「こんなにはいらない」
「食べなさい」
「はーい」
結局半分も食べることなく、ナミはそれまで食べた分を吐き出して気を失った。


2000年02月07日(月)
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