暴かれた真光日本語版
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2005年09月29日(木) 崇教真光と考古学 その1(教義1)

崇教真光と考古学

真光全般(友乃會、文明教団、崇教、正法の會、etc)への苦情板
http://religion.log.thebbs.jp/1116855595.html

No.[548]-[557]9Hqd6qPk93氏の投稿を転載。
通し番号と「教義1、2」、「批判1、2」は当サイトへ纏めるにあたり日記作者が便宜上つけた。


崇教真光と考古学 その1(教義1)


[548]崇教真光と考古学 05/10/06 14:07 9Hqd6qPk93
岡田光玉師述み教え集(昭和41年)
[五月度月始祭ご教示要旨]
 考古学会もずい分以前とは変わってきて、この縄文土器のさらに前期に石器時代があって、それを新石器時代と名付けた。これはざっと六十万年前を新石器時代と名付けていますが、そういう太古時代のさらにもう一つ前に旧石器時代というのがあったことがわかってきた。・・・・
 世界の太陽信仰はずっと後期に属し、一万年以下の歴史しかもっていない。日本の太陽信仰は少なくとも六十万年前の旧石器時代にはじまっている。飛騨で旧石器時代のいろんなものを見せてもらってきましたが、あちらでは今でも到る所で、山に登って太陽を拝む習慣があります。
[七周年大祭ご教示要旨]
 しかし、最近の日本と外国の考古学者や人類学者や、民間の心あるかたがたによって、少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。世界の学者も日本が最古の国であるといい出しています。

[2] 岡田光玉師述み教え集(昭和42年)
[立春大祭ご教示要旨]
 相沢氏の発掘されました標本によると、三十万年前の石器、二十万年前、十万年前の石器はざらにあります。

「真光」誌昭和47年12月号19-31頁
●北関東方面合同周年祭記念講演会ご教示要旨(昭和47年6月11日・桐生サンケイホールにて)
『迫る人類共滅期をいかにして超えるか』 聖凰(岡田光玉)師述
 …日本の太古史を調べていきますと、出雲の文明というのは、何千万年前に開拓されてしまっている。この文明がやがて朝鮮を通り、コンロンを通って、インドの文明にまで影響を及ばしていると私は見ている。今は古文書からその流れを感知せざるを得ない。
 そういう所であるだけに、一千万年や二千万年のものは急には出ないとしても、関東の岩宿のように、五万年〜十万年の石器が出ないはずがない。
 だから私は、別に考古学を研究していないけれども、歴史の上からいえは、必ず出ると断言できるので、ぜひ研究をつづけてやっていただきたい、といってきたのです。
 皆さんはもう新聞でご承知と思いますが、それをやっと三年前恩田氏が発見してくださった。「日本で最古の石器を発見した。巨石器ではないが、小石器では日本最古のものである」と新聞は紹介している。
 発見者の恩田氏に、さっそく合いに行きましたが、現在の学会に通すために、一応五十万年前のものとしてあるけれども、私はもっと古いものだと思うといわれるので、発掘された石器を見せてもらった。これは一昨年のことでありますが、もう今日では五十万年以前という判定が学会で出ています。
 昨年のお正月に伺って、「恩田さん、あなたはくたびれましたか?」と尋ねましたら「もう岡田さん、金がかかって私材じゃどうしようもないのです。もう私は止めようかと思っているんです」
 「冗談じゃないですよ。これからは日本の石器などの擡頭期にはいってくるので、ここまでくれば百万年前のものはすぐ出ますよ」といってお励ましして別れてきました。
 その時恩田さんは「岡田先生がそうおっしゃってくださるなら、私はもう少し元気を出してやりますよ」といわれた。
 「ぜひ第三期層の下のほうへ研究を進めてください」そういって帰って、一週聞か十日目に恩田さんから「百二十万年前の石器を発見しました」という嬉しい手紙をいただいた。
 現在百万年前の石器の研究をしておられます。
(広報部注・さらに九月五日ついに五十万年前と推定される人骨を発見された)


[549]崇教真光と考古学 05/10/06 14:08 9Hqd6qPk93
崇教・真光誌昭和54年6月号P32
 さて、ずっと時代をさかのぼって約六十万年前。この時代について救い主様は「石ブームと霊石、玉石」という御教示の中で次のように述べておられます。
 「(前略)……私の踏査研究では少なくとも六十万年前と思われる日本の石器文化は、巨石器文化時代にサカノポロウとしています。世界最古のものとして、世にクローズアップし出そうとしていることは、世界人類史にも日本皇統の宏遠さが浮彫りにされるのも遠くないでしょう。」

崇教・真光誌平成8年11月号 P10-
平成八年十月度 月始祭 教え主様御教示
『人類歴史の大曲がり角』
  秋涼の候となりましたが、陽光子神組み手は愈々正法神向き信仰を深めておられることと存じます。
 神の御経倫は日進月歩の勢いで進展しております。�犖羞佻世紡┗�した魂霊の昇華″が求められております。
 陽光子神組み手の更なる「想念転換」「意識の変革」がなされなくてはなりません。
 「天意の大転換」により、今までの常識や通念では解決出来ない事が次々と起きており
ます。歴史・宗教・科学・経済・政治の万般に亘りまして大変革が起きつつあります。
例えば、近年まで牢乎として動くことのない「歴史迷信」が崩れ出してまいりました。
戦後、この歴史迷信を切り崩す端緒となりましたのは、群馬県新田郡で発見されました
「岩宿遺跡」でありました。岩宿遺跡の発見は、わが国の旧石器文化に画期的な一ページを開きました。
 この旧石器を発見いたしましたのは、相沢忠洋先生でございました。
 それまで日本には、一万年以前の石器は存在しないとされておりました。ところが、相沢先生は納豆の行商をなさりながらコツコツと探究を続けられました。
ある日、切り通しの赤土の中から黒曜石で造られた見事な石器を発見したのであります。
茲に、日本の「旧石器時代」の存在が初めて明らかとなりましたわけでございます。
御祖師・救い主様は、群馬県に御巡光あそばされます度に、相沢先生と共に岩宿遺跡や夏井戸遺跡をお歩きになられました。
 その折、救い主様がステッキにて地面を指し示され、「この下から遺跡が出ますよ」と
おっしゃられますと、間もなくその場所より貴重な遺跡が発見されております。
 爾来、岩宿、夏井戸遺跡から次々と旧石器が発掘されております。
 救い主様が「まだまだ古い石器が出ますよ」とご予告なされました通り、夏井戸遺跡では三十万年前の石器が発掘されるようになりました。
 しかし、当時の学会は、これをなかなか認めようとはしませんでした。
 近年、宮城県座散乱木遺跡や馬場壇遺跡の発見により、旧石器時代は十万年以上に遡ることとなりました。これにより、それまで反対しておりました学者も、前期旧石器の存在を認めざるを得なくなってまいりました。
 そして平成六年には、同じく宮城県上高森遺跡において驚くべき発見がなされました。北京原人出現より十万年も早い、なんと六十万年前の地層から見事な旧石器が発見されたのであります。遺跡の表面には火で焼いた跡がありました。これは北京原人よりも古い時期に、日本原人が火を使用しておりましたことを意味しております。この事実が確認されれば、”最古の火の使用″を裏付ける大発見となります。火の使用は、人類の文化・文明を起こす基であります。火の使用によりまして、生活環境は飛躍的な向上を遂げるわけでございます。
 発見されました十五点の石器は、赤い碧玉製の石器を中心として、放射線状に並べられて出土いたしました。このことから、原人にはきれいに並べる美意識があり、豊かな精神性を持っておることが分かります。
 わが民族の遠つ世の祖先は、少なくとも六十万年前の太古の昔から神祀りを行ない、死者には副葬品を供える習慣がありましたことを示しております。
 茲に、「人類歴史」は大きく変更を迫られる天の時が到来いたしました。


[550]崇教真光と考古学 05/10/06 14:08 9Hqd6qPk93
 神歌に、
 あかときの 神の光のさしそめて
   人類歴史の大曲がり角来ぬ
 めざめかし 人類歴史は正法に
   書き換うる外なき魁の時
とございます。
 救い主様は、「新考古学の発掘と発展によって、日本列島から少なくとも百万年前の遺跡が発見されるであろう」とご予告あそばされていらっしやいます。即ち、六十万年はおろか、”百万年前に比の霊の元つ国に人類が既に存在していた“ということになります。
 今までの常識では考えも及ばざる出来事が、考古学という実証の世界から起きつつあります。
アメリカ、カリフォルニア大学のブラウン博士は、生化学の立場から、人間の細胞の中にありますミトコンドリアという小さな器官の遺伝子を解析いたしました。その結果、
“人類の先祖はアジアに起源を持つ”ことが分かってまいりました。
 愈々、「救い主様の壮大なる人類史のご予告」が現実になりつつあります。
 神の御経倫は、人知人力を超えて進展してまいります。万人に魁けて早くから「神の御
経倫」を知らされた陽光子乃友どちは、�猯遒慮気長饋佑領鄒辧蹐北楹个瓩胴圓�なくてはなりません。
 旧石器時代の次に訪れましたのが、「縄文時代」でございます。縄文時代は約一万二千年前より始められました。この縄文の地層から、数々の土器が出土しております。
 本年四月、東京都新宿区百人町の遺跡から一万二千年前の土器が出土いたしました。これは世界最古級の土器であります。
 また、鹿児島の栫ノ原(かこいのはら)遺跡からも一万二千年前の土器と定住を示す遺構が発見されております。
 剰え、先年、青森県三内丸山遺跡の発見により、縄文時代前期掛から中期にかけましての壮大な生活がはじめて明らかとなりました。
 また、日本から六千キロも離れました南太平洋の島国バヌアツ共和国からは、縄文文様をもつ土器片が多数出土いたしました。
 この土器が発見されましたのは、1960年代半ばのことでありました。土器を調べておりましたハワイ・ビショップ博物館の日・米・仏の考古学者チームは、これが五千年前の日本の縄文土器であることを断定いたしました。即ち、縄文土器が南太平洋へ南下、移動したことを示唆しております。
 わが国の祖先は、五千年の昔より世界各地へ雄飛していたのであります。
 正しく、明治陛下の「国を肇むること宏遠に 徳を樹つること深厚なり」のご神勅の通り、霊の元つ国の万世一系の歴史は、遠つ世の神代にまで遡ることをしっかりと胆に納めておかなくてはなりません。
 さて、縄文時代の次に「弥生時代」が始まりました。今より二千年前のことであります。
 この頃に、大陸から多くの渡来人が日本列島に住みつくようになりました。そして二千年の間に、わが民族は文化文明を発展させてまいりましたが、反対に霊の元つ国人の�狢舅多粥匹狼淆�に失われてしまいました。
 正法はやがて像法となり、像法は遂に逆法の時代へと突入し、今日では毒気充満、文化の悪筆が咲き乱れ、猖獗を極めております。
 この末世混濁の世にあって、霊の元つ国人は「温故知新」故きを温ね求めて、そこから新しい”霊的な生き方″を開始して行かなくてはなりません。
 陽光子乃友どちは、世の中が急速に変動して行くことを前提において、日々のご神業・生業・学業に邁進していただきたいと存じます。
 来月度の大祭には、世界各地より五色人代表のみなさんが参集いたします。世界の陽光子乃友のお世話をさせていただくのが、国内の陽光子神組み手でございます。
 �猯遒慮気長饋佑領鄒辧蹐鮗�覚し、以て�犂脅奸蹲爛皇勝蹲牴失臓蹐痢峪安臚遡棔廚鮴�就し、世界の人びとから慕われる�狄世了辧蹐悗半魂擇魏未燭靴討い燭世�なくてはなりません。
 �狄世慮羞佻世紡┗�し得る魂″が結集することによりまして、神の火柱が天に届き、遍く世界を照らすのであります


[551]崇教真光と考古学 05/10/06 14:09 9Hqd6qPk93
崇教・真光誌平成8年12月号 秋季大祭教示(岡田恵珠氏)
P13-14
 神霊界にお帰りになられました大神様のご威徳を人びとはお慕い申し上げました。
 しかし、お姿を直接拝することは出来ません。そこで神の子は、大神様(おほかみさま)をお慕い申し上げ、対象物としての太陽を拝むようになりました。これが今も世界に残ります「太陽信仰」の淵源でございます。
 救い主様は、昭和四十年に日玉の国をご探訪なされました。そして「太陽信仰は、少なくとも六十万年以前の巨石器時代に劫(さかのぽ)る」ことをご垂示くださいました。
 そして、ご承知の通り、平成六年には、宮城県上高森遺跡に於いて、北京原人よりも十万年古い六十万年前の地層から「日本原人」の存在を示す前期旧石器が出土したのであります。これは、六十万年前の太陽信仰を裏付ける発見でもありました。
 わが国の旧石器時代を開きましたのは、相沢忠洋先生でありました。旧石器時代は、今日一気に六十万年前まで遡ることとなったのでございます。
 救い主様は、「日本列島から、少くとも百万年前の遺跡が発見されるであろう」とご予告になられておられます。

「天意の大転換―岡田光玉師の大予告2」八坂東明著 リヨン社99.6.15初版
(P249-255)
 光玉師は、40年前に歴史上の常識が打破されると予告した。
 『日本の歴史はすくなくとも百万年以上前に溯るのである。やがていたるところから数十万年以上前の石器が発掘され、日本歴史は書き換えるほかない時代が来る。』
 40年前、この預言は一笑に付された。狂気の説として退けられた。しかし今日、日本列島の各地から最古の遺跡が続々と発掘されている。
(中略)
 実にここ十年の間に考古学界の発掘が進み、歴史の謎が次々と解明されている。
 相澤忠洋氏によって、群馬県岩宿遺跡から1万年前の旧石器が日本で初めて発掘されたのは戦後まもなくの昭和24年であった。それまでわが国には旧石器時代はないとされていたのだ。この定説をくつがえした相澤氏の発見によって、日本の歴史は1万年前まで溯ることとなった。相澤氏と光玉師は奇しき御神縁によって邂逅(かいこう)した。
 昭和39年のことである。このとき、師はまだまだ古い石器が発見されると予告した。
 そして相澤氏は、岩宿発見に続いて夏井戸遺跡の発見に着手した。
 夏井戸遺跡からは、1万年はおろか10万年、20万年前の石器が発掘された。
 それでもわが国の歴史教科書は、旧態依然たる記述ばかりで旧石器時代が20万年前まで遡ることを記載しなかった。
 しかし昨今はどうであろう。
 平成9年には、宮城県上高森遺跡において推定60万年以上前の石器が発見され、考古学会をアッと驚かせた。十数個の石器は思わせぶりに円形にきれいに並べられていた。
 この石器を見た岡田恵珠師は、
『当時、すでに日本原人に神を祀り拝む習慣があったのではないか。』
 と指摘した。
 60万年前といえば、あの中国の北京原人よりも十万年も古いことになる。
 北京原人より十万年前に、わが国に日本原人が住み、しかも美的な認識を示していたという事実に驚嘆するほかはない。
 そして平成10年11月には、推定70万年前の石器が上高森遺跡から発見された。
 師の預言したとおり、百万年前が見えてきたのである。
 この事実を見ても、歴史の常識が通用しない新時代が到来している。


[552]崇教真光と考古学 05/10/06 14:09 9Hqd6qPk93
 次に驚くべき発見は、三内丸山遺跡をはじめとする縄文時代の素晴らしさであろう。
 今から5500年前に縄文人は、東北地方に一大サークルをもって豊かな縄文文明を構築していった。高床式の建物や集会場もあった。高度な縄文土器、うるし、ヒスイ、黒曜石を使ってのおしゃれでグルメな生活跡が発見されると、現代人の考古学ファンはその優雅さに睦目するばかりであった。
 あのシュメール文明が五千年前であるから、それより五百年早く東北に栄えた縄文文化は、歴史家の森本哲郎氏が言うように世界五大文明と比肩して書き加えられるべきであろう。
 しかも驚くべきことには、平成10年7月に青森県蟹田町から発掘された土器は、なんと今から1万6500年前の縄文土器であった。ここに今日までの定説であった1万2000年前の縄文時代を大きくぬり変える驚異的な数字が示された。すなわち、世界最古の土器が日本から発見されたのだった。
 人類史からいっても超太古人は、親神や先祖を拝んできたのである。
 惟神のミチとは、神社神道より遥かに古い神代の物語にまで遡る。上古の神話の世界には、小異の人類歴史が横たわっていることがわかってきた。新考古学の進展によって日本歴史を遡行していけば、ついに人類歴史の発祥に突き当たるというのが光玉師の持論であった。
 新考古学老でもある岡田光玉師とそれを継承した恵珠師は、神話の実在を予見し、その実証としての考古学的発掘を重視してきたのである。
『神はまわりから仕組むぞよ』
 この御神示のとおり、今日、日本をはじめ世界各地で歴史的発掘が相次ぎ、日本の歴史を書き換えるほかない転換期を迎えている。
 最近では、日本最古の文字が三重県大城遺跡で発見された。
「奉」と読める文字が刻まれた2世紀中ごろの高杯が出土した。従来の通説では文字の伝播は5世紀とされているが、それを300年も溯り、弥生時代に文字があったことが証明された。これで弥生時代には文字がなかった、というこれまでの定説は覆されることになった。
 また平成10年5月には、鹿児島県喜入町の帖地遺跡において�校�形線刻を持った石が発見された。これはなんと約二万五千年前の線刻の入った石であった。
 線刻は30センチの凝灰石の表面を刻んだもので、全体で数十本もあり、なんらかの記号ではないかと見られている。
 光玉師は、日本には超太古の神代文字が存在したと述べている。最近では岐阜県の岩刻文字の相次ぐ発見により、いよいよ「日本に文字なし」の歴史迷信を打破することになるかもしれない。


日記作者