まゆのウォーキング、ぼちぼち日記

2006年09月23日(土) お彼岸なので…法話を聞きに行く

今日はお彼岸である。
正式に言うと、お彼岸の中日(真ん中の日)。
お彼岸は、この真ん中を中心に前後3日間の
一週間を言うのですね。


お彼岸って、どういう意味があるかというと、
「迷いに満ちあふれたこの世、此岸(しがん)から、
 迷いから、目を覚まして生きていく、悟りをえた世界、
 彼岸(ひがん)へ到ることを願って、
 自分ルーツである先祖を敬い、
 常日頃の自分を見つめ直し、自分の行いを見直す、
 自己回復週間」

ということであるらしいです。

もっというと、
「人間としてちゃんと生きているかを問うて、
 人間として生きていく姿に戻ること」
だそうです。




さて、そんな「お彼岸」の今日、
近所のお寺さんで開かれた「法話」を聞きに行ってきた。
以前、法話をよく聞きに行っていたが、
今のマンションにに引っ越しして来てからは、
聞きに行くことがなくなっていたのだ。

私は、法話とか、キリスト教の話とか、
他のあやしくない宗教の話とか、
読むのも、聞くもの好きなのである。
なんとなく、自分が浄化されるような気がするし、
人生の深さに触れられるので好きなのだ。
だから、とても楽しみだった。





で、今日は、そんな法話から、
ありがたいお話を紹介したいと思う。
お彼岸だから、身を清めるためにも…。


今日は、常願寺の藤森教念住職のお話を聞いた。
久しぶりに、新鮮で、私は忘れていたことを
思い出したような気がした。



その話は、このようなものであった。
(私の感覚で聞き取ってますので、若干ニュアンスが異なるかも
 しれませんが、メモを取ってきたのでそれを元に書きます)
それと、仏教に詳しい方には、物足りないと思います。
この辺りは、大目に見てやってください。<(_ _)>


まず、仏教には「四法印」という印があって、
それは、以下の四つである。

◆諸行無常(しょぎょうむじょう)
◆諸法無我(しょほうむが)
◆一切皆苦(いっさいかいく)
◆涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)



これがどういうことであるかと言うと、


諸行無常は…

普段は、諸行無常でなくて、諸行有常で生きていて、
いつも、何も変わらないと思っている。
自分は、変わらないと思っている。
しかし、
「世の中はすべて移り変わっていく、いつも
 同じでなくて、ずっと続いていくものでもない。
 時も移り変わっていく」

このことを忘れてはならない。


諸法無我は…

普段は、諸法無我でなくて、諸法有我で生きていて、
「私が、私が…」といって、自分中心に生きている。
自分の自己チューは、見えないものである。
しかし、
本当は、いろいろな関わりのその中で、自分が
生きていることを、忘れてはならない。



一切皆苦は…

普段は、なんでも思い通りにしたいと思って生きている。
そして、「あの人さえいなければ」とか
「あれがああだったら」などと、思ったりしている。
しかし、
「何事も、思い通りにはならない」ものである
ということを知っておかねばならない。



涅槃寂静は…

この上記3つが「迷い」を生みだしていて、
そのために、こころがざわざとして、
「迷い」にとらわれている。
そして、右往左往している。
この、こころの迷いを断ち切って、
とらわれから自由になって、
かけがえのないもの、命や、出会いを大切にする、
人間本来の生き方をする、
そうすれば、静かな穏やかな気持ちになれる。
ちゃんと立つべきところにやっていないから、
こころがざわつくのである。
立つべきところに立てば、心が落ち着く。



というようなことであった。
そして、藤森教念住職が言うには、

「このようなことは、わかっていても、
 行動するのは、なかなかむずかしい。
 みんなわかったつもりでいるから余計むずかしい。
 こんな話をしている、私だってそうです。 
 だから、自分の思いばかりに偏らずに、
 中道を進むことが大事なのです」


ということでした。


ふぅーむ、なるほど…
そんなことであったかと、
あらためて「四法印」を
とらえなおしたのでした。



その他にも
人間のあらゆる苦しみのことをいう「四苦八苦」
の話などを聞いた。
とても興味深かった。


しかし、
最後に話された話がいちばん、
印象に残った。

それは、こんな話であった。



人は、損得勘定の中で生きている。
損得勘定があれば、頭はいくらでも下げられる。
得すると思えば、いくらでも頭は下げる。
意識して頭を下げることはできる。

しかし「頭が下がること」は、なかなかない。
自然に頭が下がる人は、なかなかいない。
しかし、実は、人は中味がいっぱいになれば、
自然に頭が下がるし、頭を垂れる。
中味がいっぱいだから、下がる。
下げようと思わなくても、下がる。

しかし、
中味がなかったら、下がらない。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのは、
中味があってこそ。

この中味を何を持って、いっぱいにするか、
自分の実を何でいっぱいにするか…
これをちゃんと考えなくちゃいけない。
そして、損得勘定を捨てて、
大切にするものを見つけていかなくてはいけない。
そんな損得勘定などというものを越えたものに
出合うことが大切なのだ。



というようなことだった。
私は、初めて聞いた話だったので、
とてもなるほど…と思った。
中味がないと頭は下がらないのだ…
中味がないと、突っ張ったままなのだ。
中味が大切だと思った。
それと、損得勘定を越えたものに、
出合うこと…
うん、大切だと思った。


最後に、
藤森教念住職はこう締めくくった。



「私が救われれば、
 あなたも救われるのです」



ああ、そうだなぁ…
そのとおりだなぁ…、
自分が救われてないと、相手も
救うことなんてできないなぁ…と
しみじみ思いました。

今日は、彼岸中日だったので、
仏教の話をしてみました。
この後の3日間は、自分を清めたいと思います。
って、この3日間だけじゃなくて、
毎日の生き方がもっと大事なんだけど、
凡人なので、せめてこの残りの3日間はとくにね。





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