| 2007年01月09日(火) |
コンビニの存在に心から感謝するとき。 |
二ヶ月から三ヶ月に一度くらい、必ず僕が直面する危機がある。それは切迫したものであり、命の危険はないものの、ひとつ間違えれば人間の尊厳を一気に失うものだ。
端的にいうと、学校までの短くない道中の途中で便意を催すことなのであるが。文語的表現でわかりにくいが、これ以上俗っぽい言い方は勘弁してほしいところだ。僕にはそんな下品な物言いは耐え難いのである。 ちなみに、ならばこんな話題を出すなというツッコミは受け付けていない。
しかし、排泄は食事と同じように大切なものである。陶器メーカー・TOTOは画期的な商品としてウォシュレットを開発に、その広報において「おしり」という言葉を前面に出した。 しかも食事時に、というのであるから当然のようにCM放映直後には講義が殺到したそうだ。だが、広報担当者はすべての抗議者に対し、納得に行くまで排泄の大切さを説き、ついには抗議の電話は鳴り止んだという。 これは「プロジェクトX」での話であるからどこまで真実かはわからないが、確かに排泄は大事なことだ。
結果的に、僕は何とか事なきを得ることができた。道の途中にコンビニがあったためである。 公衆トイレが少なくなる中、こういう時コンビニの存在には本当にありがたい。集客のためという営利目的の設置とはいえ、駅や公衆便所の掃除の行き届かない汚いトイレよりずっと綺麗だし、紙もきちんと常備されている。入るのにも抵抗はあまりない。 もちろんタダで使うのは気が引けるので、たいてい何か買うことになるのだが、買った分の商品は手に入るし、有料トイレとしての価値は十分にあると思う。
web拍手レス(客単価がどうしても低いし、最近は満遍なくコンビ二が乱立しているから、コンビニって経営難しいんだよなぁ)
今日の拍手コメントはないぜよ。
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