言の葉孝

2006年11月21日(火) 勉強を否定するな


 やることが多くて正直日記を書くつもりはなかったのだが、ついつい見てしまった『僕の生きる道』でいろいろ考えることが多かったので、それを書き留める意味で書いてみることにした。

 お母さんが病院に精密検査に行ったり、“都古ちゃん”夫婦の仲に影がさしたり、明らかにフラグっぽいシーンがちりばめられている『僕の生きる道』。実は障害者問題だけではなく、可能な限りいろんな問題を取り扱っているらしい。
 そのひとつが今回の話のメインだったのだが、昼ドラの『キッズ・ウォー』などでもよくある教育ママと子供の関係問題だった。子供の気持ちやストレスを考えずに勉強ばかりを強要する母親。今日の話はきれいにまとまっていてよかった。

【勉強を否定するな】

 “今夜のドラマの話とは関係のないことなのだが”(誤解を与えてはいけないので強調しておく。ドラマで語られていたことは今から主張することとは別のことだ)、ガリ勉タイプのキャラクターを弱々しい脇役として、勉強より青春を謳歌するキャラクターを華々しい主人公として描くなど、ドラマや漫画では「勉強ばかりしているのはよくないことだ。学校の勉強なんか社会の役に立たない」という風潮が目立つ。

 しかし、この風潮は現在深刻な問題となっている子供の学力低下の一端を担っていると考えているのは僕だけだろうか。

 漫画などで、こういう風潮の物語に触れたとき、僕も「勉強するだけ馬鹿を見るんだ」「学校の勉強は無駄なことなんだ」「勉強より好きなことをやればいいんだ」と思ったことがある。思っただけで勉強を完全に放り出して遊ぶだけの度胸はなかったが。

 でも、現在の考えは違う。話して面白いと思える人間は勉強熱心な人ばかりだ。
 大学の先生などはその典型で、その知識が豊富なためにいろいろな物事に関して深い考察を行っており、実際の事件だけではなく、映画や文学作品ひとつとっても、常人ではおよそ思いつくことのできないくらいの分析力を見せる。
 このあいだインタビューをさせてもらった島本さんも勉強熱心な人でバスケットボールのプレイ自体はほとんどできないのだが、「この選手は出身が○○で、ここは××な地域だから、〜なんですよ」というふうに、各選手の背景について非常に詳しい解説ができる。

 「勉強ばかりしてはいけない」とか「受験のためだけに勉強をするのは滑稽だ」という事には非常に賛同できるが、「勉強するだけ馬鹿を見る」という風な勉強する者自体を否定する意見は容認できない。

 小学校の勉強だろうが、中学校の勉強だろうが、勉強は教養だ。やっていて損はないし、何も受験のためにする勉強が勉強ではない。
 勉強とは対極の存在と見られやすいスポーツだってその例に漏れない。ルールをはじめ、世の中にどんな技術や戦略があるのか、自分を鍛えるにはどういうトレーニングがいいか。こういうのだって立派な勉強だ。
 スポーツでなくても、何をするにも“真剣にやろうとすれば”結局どんな形であれ「勉強」がついて回るのである。

 何もやりたいことがないうちから基本的教養である「学校の勉強」に背を向けていては、いざ自分の道が見つかっても、その道を歩くための「勉強」に拒否反応を覚えて、中途半端な姿勢で取り組むことになってしまうことになりかねない。

 具体的な話、勉強をすれば教科書を読み、語彙・知識を増やすことで、いざというとき「勉強のために本を読む」というところで抵抗感を覚えずにすむ。せめてインターネットで長文を読めるようにはしていたい。

 「学校の」でなくてもいい。「資格」や「単位」といった形で報いられないものでもいい。勉強は常にしておくべし。





web拍手レス(「人生死ぬまで勉強」はジョークでもなんでもない、ただの事実だ)

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