読書記録

2006年11月25日(土) 流離の海              澤田 ふじ子

「りゅうりのうみ」と読む

副題は私本平家物語

私は あの諸行無常の平家物語を読んでいない
作者もあとがきで書いているように平家物語は、登場人物は有名な人々ばかりで庶民の姿や生活があまり書かれていない。
正に私が知りたいのはそのことで、何らの資料にも記されていないような私のような庶民の当時の生き様が知りたいのだ。

この物語の主人公である非田院育ちの有王は実在した人物のようだ。
平家物語に俊寛僧都を喜界ヶ島へ訪ねていく寺僧として登場している。
赦免されて都へ帰ってくるらしい・・との噂で草津湊へ出向いたものの、俊寛の姿はなく気落ちする有王の姿には私も思わず涙した。
その後 はるばる喜界ヶ島へ旅立って俊寛に逢った時の描写はあまりにもせつない。
平成の今の世でも喜界ヶ島は京都からはあまりにも遠いのだ。

そして 東大寺勧進の俊乗坊重源の人物描写も面白い。
平家の南都焼き討ちで炎上した東大寺の復元をした勧進僧としての重源はあまりにも有名だが、その重源を作者は自分の地位を固めるために、詐欺師的資質を発揮したと表している。

そして平維盛の補陀落渡海も私には興味のあることだった。
「あはれ人の身に妻子といふ物をばもつまじかりける物かな。此世にて物をおもはするのみならず、後世菩提のさまたげとなりたるくちおしさよ。只今もおもひいづるぞや。かやうの事を心中にのこせば、罪ふかからんなるあひだ、懺悔する也」
有王は熊野への道をたずねられたときから、すでに維盛の覚悟を察していた。一切の経過を考えれば、とても制止はできなかった。
かれの求めにしたがい、快くその死に場所、補陀落山寺へ導いてやるのが、慈悲というものだろう。



人間の世界は潔いばかりでは息がつまる。臆病も意気地なしも、人間の属性の一つで、勇猛果敢だけの人物には、人の世の痛みや哀しみはわからない。阿弥陀仏はそんな弱い人間にこそ、救済を約束されている。


是乗せてゆけ 具してゆけ   (俊寛辞世 と言われているが・・)











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