++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年06月23日(月) だからきっとしあわせ

ここ数日、いろいろあり過ぎたせいか
心身ともに今までで一番酷い状態になってた。

しぶといのだけが取り柄のようなわたしだから
それでもまだ持ちこたえられると思っていたし
実際、持ちこたえたはずだったのに
それはじわじわと考えていたより深くわたしを蝕んでいた。


ピークは土曜日の夕方。

同じ一つの行動をゼンマイ仕掛けの人形みたいに繰り返す、
手の震えが止まらない。息がうまくできない。
意識が細切れに途切れる。
絶え間無い頭痛と滝のような汗。
そして言葉が声が出なくなった。

薬の量を増やして飲んでも一向に効かない。

ここまでなるのは初めてで自分の状態に
ものすごくショックを受けた。


わたしの最近の調子の悪さを見かねた実家の方が
下二人を泊まりに来させたらといってくれていたので
行かせてて良かった。
こんな姿を見てたらパニックになってただろうから。


長男がすぐ異変に気がついた。
情けないことに手が震えて筆談もできない。
口をパクパク酸欠の金魚みたいにさせながら
枯れはてたはずの涙ばかりがただただ溢れ続ける。

長男は救急車を呼ぼうかと思ったそうで
それは少し落ち着いた後で聞いた。


ただこの時は我が子ながら(内心はパニクっていたにせよ)
よくやってくれたと思う。
過呼吸の処置をとり(これは以前にもなったことがあったので知ってた)
少し落ち着いたところで水を少しずつ飲ませてくれて。

無理に何か話そうとしなくていい
大丈夫だから安心して と手をさすりながら。

氷枕を持ってきて介助してゆっくりと横に
ならせてくれた。

わたしはうつらうつらしては頭の痛みで
また意識を戻すというようなことを繰り返しながら
発作のように起き上がって髪を掻き毟りながら泣くということを
しばらく繰り返していたようだ。

実はこの間ことも途切れ途切れにしか覚えていない。
細切れの破片のような記憶の中で 
背中を撫でながら大丈夫、大丈夫 といい続けてくれている
息子の声と手の暖かさだけが不思議と残っている。


日曜の夜 おかげで やっと声は出るようにはなった。
まだ どもるというか、言葉が途切れたり、
でてこなくなったりのマダラ状態だし気を抜くと
おかしくなりそうになるけど。

それでも一日でここまで戻れたんだから
やっぱりわたしはシブトイんだと思う。

あとは日にち薬にするしかないんだろう。

身体も心も言い出せばきりが無い。
身体病気の部分はとにかく定期検査を続けて
これ以上悪くならないように。
心は薬の力を借りつつ、こちらも同じ
この先も病と二人連れなんだろうけど。


でも病気になって改めて知ったひとの優しさも
沢山ある。

ここでこんな長文の日記を書くことも
書くことが気持ちを吐き出せる唯一の術であるわたしにとっては
癒しであり救い。

欝が酷い時は二つに分かれる。
まったく書けなくなるか、こんな風に長文になるか
どちらも わたしのほんとう。
だから 思うままにしている。


わたしの今のトモダチはみんなネットで知り合った人たちばかり。
そんな大勢ではないけど一人一人がかけがえの無い大切なトモダチ。


辛いことや苦しいことがあった時によくシアワセの形について考える。
確かにほんとによくもまぁこんなに次から次に・・ってことばかりだったり
自分自身が思い描き夢見ていた幸せというものと
今のシアワセの形は違うけれど。

わたしはわたしを想い、支えてくれるひとたちと
この道をきたから出逢うことができた。

どん底になったときに真実(ほんとう)のトモダチがわかる。



そして子供達。
わたしは悪阻が酷い性質なので 三人とも入院して病院で
点滴を受けながらの妊娠生活だった。
産まれてからも虚弱体質だったりアトピーだったり
長期入院があったり、病院と縁がきれたことがなかった。

夫の病気が再発したのが末っ子が産まれてまだ保育園に入る前。
前年にわたしは自分の病気で入院して手術を受けてた。
闘病生活の末に夫が逝ったのは
やっと真ん中が小学校に入学したばかりの歳だった。

子育ても厳しい。
子育てとは子に育てられるとは良くいったものだと思うが
まさに赤ん坊の時は夜泣きで一睡も出来ない毎日でフラフラになり
やっとハイハイや歩き始めれば好奇心でいっぱいの子供は
ひたすら冒険者だから親はまた振り回される。
大きくなってくればきたで 反抗期あり・・とまぁ
溜息の連続。

だけど それでも もう嫌だ!しらん!といいつつも
寝相悪く布団剥いでいれば 風邪ひかぬようにと布団をかけなおす。

親になってみてわかる親の気持ちもある。
親になってわかる子供の気持ちもある。



この頃つくづく 幸せか不幸せかは誰でもない
自分自身の心が決めることなのかもしれないなぁと思う。

どれだけ 優しさを受けていてもそれに気づかなければ
それはきっと不幸だろう。

少なくとも わたしは こうしてひとの優しさを感じることができて
ひとの温かさに支えられて生きている。
わたしの今まで生きてきた中でのタカラモノ。



辛いことも苦しいことも傷つくこともある。
逃げ出したいことも絶望してしまうときもある。


だけどこのタカラモノを胸に抱えている限り

だからきっと

わたしはしあわせ。


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                                ゆうなぎ


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