++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年05月26日(月) 命(いのち)

伯母と別居中だった伯父が脳溢血で自宅で倒れて急死しました。

昨日の朝 報せがあってちょうど実家にいたので
父と駆けつけました。

見つけたのは様子を見に行ってた いとことその連れ合いで
その時には既に息がなかったようです。

伯父と伯母には二人の子供(わたしにはいとこですね)がいて
一人は結婚、一人は独身で専門職についています。

破天荒な人生を生きた人で周囲には随分と辛い思いをさせ、
無茶も繰り返してきた人だったけど それでも人の死は 重い。


喪主を務める伯母はすっかりやつれていましたが それでも
周りをしっかりした子供たちとその連れ合いが支えているので
それがせめて救いだと思います。
伯母の代わりに動いてとり決めていたから。
伯母にとってもどんなにか心強いことでしょう。

それと最期があっけないほどのものであったことも
今まで苦労をかけてきた家族への、
伯父のせめてものお詫びの心だったのかもしれないな・・と。

安定剤を多めに飲んで斎場へと向かって、斎場では気を張って
いられたんだけど それでも正直きつかった。

ずっとフラッシュバックと闘っていました。


わたしの時は酷かったからね・・。
斎場の人との打ち合わせには夫の父親が同席したんだけど
いっそ いなくてくれた方が良かったくらいだったから。
あまりに非常識なありえないことばかりいうので。
(湯灌しなくていい。部屋大きすぎないか。
お棺も霊柩車も最低のものを主張。花までケチる始末)
部屋とお花に関してはさすがにわたしと同情してくれたのか
斎場の方の口ぞえで何とかしたけど、それでも前代未聞だった)

経験した人はわかると思うけど
喪主ってやることが山のようにあるんですよ。
わたし、自宅介護と入院を繰り返し、
最期は危篤状態が1ヶ月近く続いた夫を看取った後、
引き続き 喪主として文字どおりたった一人で
走り回って手続きしたりとかした。
その時はひたすら必死で気が張ってたし、しっかりしなきゃって
そればっかりだったから できたんだろうと思う。

お通夜も真夜中数時間、あちらの両親は家が気になるからと
帰宅して 独りで仏さんと二人きり。
うちの実家に子供たち見てもらっていたし
大ばあもいるし・・
何より 娘の夫のこととはいえ 相手の両親、兄弟まで
居るわけだから うちの両親も差し出がましいこともできなくて。

仏さんと二人で怖いとかなかったけど 夫が哀れでしかたなかった。
実の親なのに・・兄弟なのに・・
危篤の期間が長く続いたけど その最初に危篤になった時でさえ
(その晩 逝っても不思議はないので覚悟していてくださいと
いわれてた)わたし一人を残して、頼むといって帰っていった
人たちですから。

葬式後の四十九日もこないうちのやり様と
四十九日の未だ語り草になるような出来事。


消えないフラッシュバック。


実は今まで親戚にはわたしの病気(神経と身体の方)については
わざわざしらせるまでもないと敢えて話してなかった。
もちろん(今は落ち着いたけど)子供の色々なことについても。

わたしは精神系の薬の副作用プラス過食で10キロくらい太った。
親戚とは特にここ数年、疎遠になっていて
神経を病んで薬を飲みだしてからは会ってない。

それ(太ったね)を言われることも嫌だったんだよね。
だから指摘される前に自分の病気について最低限 話した。
(子供のことは話してない。言う必要もないことだし
お通夜の席に自分のことぺらぺらっていうのもね)
まぁ・・・なんていうか 
気力を持って諦めず頑張って治して!とかの励ましは
案の定言われたけど・・でも これは覚悟してた言葉だし
親戚にもわたしの亡夫の実家とのいきさつは知れているので
あれだけあったんだから無理もない・・と
納得してもらえたのは良かった。


お通夜から自宅に戻ったときには呼吸の苦しさと耳鳴り、頭痛が
耐え難いくらいになってて。
留守番の子供たちに声をかけて薬を多めに飲んで氷枕して
倒れるように横になった。

それで今さっき起きてこうして日記書いてます。


人が逝くのを見送るのに慣れることなんてない。
遺されたものの辛さ、やり切れなさ。

ミスチルの「くるみ」の歌詞の中に

”時間がなにもかも 洗い連れ去ってくれれば
 生きることは 実に容易い”

ってあるけど この歌詞を聴くたび胸が詰まる。

時間で解決できるものもあるけど
そうでないものも確かにある。


自分自身 とにかく逃げ出したい、楽になりたいと
考えたこと、何度もあるけれども
それでも何とか生き延びているのは 
身近な人間の死と
一人の人間の生と死の狭間に居合わせる体験を
してきたからだと思う。

遺されたものは答えのない宿題を
心に刻み付けられたようなもの。
消えることのない。痛みと共に。


遺った人間にできる最大の供養は
逝ってしまった人たちよりも1分1秒でも生きて
その人たちが見ることの叶わなかった明日を
一日でも多く、見ることじゃないかって

そう 思っている。


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                           ゆうなぎ



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