考える。
それでもトラウマを持たない人の方が今の世の中 少ないくらいかもしれない。
形は違えど 何も抱えてない背負っていないニンゲンを 探す方が難しいくらいだろう。
でも
でも そう前向きに考えられることが出来る人は やはり シアワセだと思ってしまうのだ。
その人がそう言えるには よほどの心の強さがあるか それを支えてくれる人が控えているからだと思うから。
沢山の美談。頑張ってきた人の話。 確かに素晴らしい。確かに感動を呼ぶに相応しい。
昨今流行った物語もみんなそうだ。 フィクションもノンフィクションもどれも。
美しすぎて立派過ぎて それはわたしを後ずさりさせる。
これもスポーツに対する気持ちとはちょっと違うけれども ひとつの わたしにとっての どうにもならない拒否反応。
勿論 スポーツと同様、それに感動し心揺さぶられる人達に どうこう言うつもりは無い。
どちらもむしろ歪んでいるのはわたしの方なのだから。
ただ一つ 共通点があるとすれば それは どちらも 正義に似ている気がする。 絶対多数の当然であるべき感情の共有。 それが無言で迫ってきた時の恐怖感。
気づかない。変な的外れの共感。 善意の限りなく無神経な押し付け。
無神経な善意や厚意でひと一人のココロを殺せるのだということ。
これは自分でも常に自問自答している。 自分にとって されて一番 耐え難いことだけに わたしは気づかずに人にそれをしていないか と。
わたしの好きな物語に「キノの旅」がある。 その中の言葉
”何が正しいのか?誰が正しいのか? 何か正しいのか?誰か正しいのか?”
「キノの旅」より
これは問いかけ。多分答えの永遠に出ない問い。
トラウマのことを書いていたのに 随分 論点からズレてしまった。
どんなトラウマがあろうと 日々は容赦ない。 それがわたしの現実。
心の持ち方一つでどうにかなるならどんなにいいだろう。
これは精神論以前の問題だから。
わたしに
わたしたちに突きつけられているのは ご立派な理屈以前にまず”生きる”ということなんだ。
結局は
それだけのこと。
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ゆうなぎ
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