ラヴ*パスポート



葉月アキラ、自由に生きてきた。色んな恋を、した。
やっと腹を括ったその先は、長男の、嫁。
騙したり騙されたりの日々から抜け出したワタシだけれど、果たして頑張れるのか?

結婚5年目に入った2013年12月、不妊治療の末、娘を授かりました。

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2014年02月04日(火)  ©  娘、誕生話 【後半】


母は、19日の午前3時からずっと付き添ってくれていた。
分娩室から、個室に移った私はひたすら耐える。
勿論眠れる訳も無い、そして痛がる度に私の腰をさする母も眠れる訳が無い。
朝になっても、昼になっても子宮口が3センチより広がる気配は、無い。

今日、産まれないかも・・・。

そんな予感すらして来た。
そして予感は的中する。いやぁぁあああぁぁぁあ。

またもや、大して眠れないまま20日になり
助産師さんが言った
『今日、どんな方法をとってでも産むからね、今日は眠れるからもう少し頑張ってね。』

そして、少し破水している事を確認
先生が来て、促進剤を入れる事になった、この時9時。

陣痛の無い人でも、お昼には陣痛がつくから、葉月さんの場合もう陣痛は来てるからもっと早く産めるはずだから。
そう助産師さんは言った。

『痛みは、今以上に強くなるんですか?』と聞くと
『痛さはもう変わらないけど、間隔が短くなるから。』と言われる。

えー、これ以上強くならないって・・・じゃぁ、私はMAXの陣痛に何時間耐えたんですか?

もうお腹が痛いのか、肛門が割れそうなのか解らない陣痛が来ていた。

そして、陣痛の間隔は、5分だったり3分だったりとその時は近づいて来た感じの時、若干の衝撃と温かいものが流れた。
完全破水だった。

強烈な陣痛が来る度、看護士さんが様子を見に来てくれていたが
突然、バタバタと助産師さんや看護士さんが部屋に来て、点滴を変えたり指示が飛び交った。
この時、かなり緊迫していたらしい、私は朦朧としていた為、よく覚えていないが、母はかなり焦ったらしい。
そして分娩室に移った、この時多分午後1時位かなぁ。

分娩室に入って言われた
強い陣痛が来る度、赤ちゃんの心拍が落ちてる。
だからもう促進剤は使えない。
子宮口はまだ5センチ。

そして先生は言った

夕方までこのまま様子を見て、その時吸引で手伝うか、帝王切開にするか考えよう。

マジですか?
まだ耐えろと?てゆうか赤ちゃんは大丈夫なの?
泣けた。
まだ苦しさに耐えろと言うのかと言う辛さ
しかも耐えても普通に産めない可能性も高いと言う苦しさ
赤ちゃんがどうにかなりそうな不安
こんな訳の解らない感情で泣いたのは、初めてだった。
てゆうか、泣きたかったわけじゃなく、涙が勝手に溢れた。

ずっと隣で見てきた母は、涙を流す私を見て、痛いほど気持ちが解り泣けて仕方なかったらしい。


仕方ない、耐えるしか無い
そう思った時、先生が戻って来て言った
『今から帝王切開しよう、赤ちゃんの心拍も心配だし何よりお母さんが限界だ。』

私は・・・
通常分娩で産めなかった事
私の弱さのせいで帝王切開になって仕舞ったんじゃないか?と言う悔しさ。
色んな事を、思った。
そんな私を見て、母は言った。
『十分頑張ったんだし、吸引になるよりは帝王切開でいいと思うよ。』

そうして私は、緊急帝王切開をする事になった。
20日、48,5センチ、3022グラムの元気な女の子を産んだ。

・・・結局切るなら、早い段階で切って欲しかったかも
MAXの陣痛も味わい、帝王切開後の痛みも味わう羽目になった。




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でも、赤ちゃんのお世話ってホント、想像より遥かにしんどい
徹夜続きだよ・・・。



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