銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2008年11月23日(日) 学校の勉強の意味。

誰もが一度は思う疑問。

「学校の勉強って何の役に立つの?」


いや、一度じゃないか。



学生の頃は、

「教養は必要だ」

と思ったり

「いい大学行くためのものだよな」

と思ったり、時期によって変わっていた。


今、30になってあらためて考えてみると、意外にもあっさりと(自分なりの)答えが見つかった。


細かいとこはさて置き、ようするに、準備体操なんだろうと思う。


学校の勉強が大人になって直接役に立つなんてことは、研究職とか、

学校が何らかの専門学校でないと、普通ありえない。


読み書きや簡単な計算はともかく、それ以外のことは、それ自身役に立たないことばかりだ。

でも、勉強は意味がある。


学校の勉強は、この世の中でうまく生きていくための様々な問題に比べれば、遥かに簡単だ。


何せ、答えがあるんだから。


簡単な問題が解けない人が、難しい問題を解けるわけはない。


学校の勉強は基礎の基礎。問題を解くための「過程」を学ぶためのもの。

問題の内容なんて、あんまり関係がない。


「勉強なんかできなくても人生やっていける」

そりゃそうだ。

人の才能は様々。

才能と環境がマッチすれば、成功することは可能だ。


でも、そんな人は稀だ。

その言葉は真実でも、勉強しないことの言い訳にするのはよくない。

自分を特別な存在だと思わない方がいい。


基礎ができてない人が、「浮き世」なんていう応用問題を解けると思ったら大間違いだ。



勉強が大事。

なんじゃない。


自分がどれだけ考えて問題を解いたか、その「過程」を知ることが大事。


間違ってしまったその「過程」も大事。


過程を理解できれば、応用問題が解けるようになる。


点と点が繋がり線になる。


暗記するだけだと思っていた問題の広がりが見えてくる。


見えてきたら、あなたの勝ち。


あなたは十分実社会でやっていける。




……昔の自分に伝えたいなあ……。





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