コミュニケーション。
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妊娠がわかって以来、ほぼ初めてのセックスをした。 ほぼというのは未遂があったから。 挿入はなかったが、私は心底満足した。 なくても心が満たされていたのは初めてだったので、(それもどうか、なのかもしれないが) 残しておく。
妊娠中のセックスは、禁止はされていない。 安静にしなければだとか、お腹が張りやすいとか回数が多すぎる、のは慎まれるべきだが、 慎重を期すばかりに遠ざけていたら、 産後クライシスの夫婦もそれは増えるだろう。 挿入にこだわらずにセックスすることは可能なのだから、 もっと妊娠中のスキンシップが増えるべきなのだ。 これに続く私の持論は、「世の男ども、大人になれ」だが。
昨日は夫が主催した飲み会で、 私も独身時代の友達を呼び、おおいに楽しんだ。 子ども達は実家に預けてあって、私も夜中に実家に帰ろうと思っていたのだが、 女の子達全員をあっちゃこっちゃに送った後に、 二次会を終えた夫を迎えて自宅に帰ったら、夜中の1時だった。 疲れていたし、どうせ子ども達は眠っているし、と自宅で眠って、朝早く行くことにした。 そして朝方、目の覚めた夫とうとうと話していたら、気づいたのだ。 子どもの目を気にしなくていいことに。
疲れたのはわかるがひとこと連絡をしてくれ、と実家から朝に怒られたし、 息子達は夜に私がいないのが寂しかったようで、学校その他へ行くのに手間取ったしで、 後で両方に埋め合わせもせねばなるまいし、いいことばかりでもなかったが、 やっぱり子どもの目を気にしなくていい、という解放感は、 少なくとも私たちには必要だった。 誰にも言えはしないが、私の精神はおおいに満たされた。
性欲にまみれていると書いたが、昔ほど欲していたわけではない。 ホルモンで性欲がまったくなくなる妊婦もいるが、 私はそうではなかった程度のことで、性欲が増すのも周期的で、 ホルモンなんだからなくても大丈夫だなと思えるし、 昔は、セックスやスキンシップと愛情表現がイコールかつオンリーだったのが辛かったのだが、 今は、 愛する人と暮らすなかでの全ての共同作業が愛情表現であり、 そのなかのひとつとしてセックスがあるに過ぎない、という気持ちがあったので、 ひどくこだわっていたわけではなかった。 結局、相手を信じられるかどうか、な話なのかもしれない。 それは相手の態度だけの問題ではなく、自分の心の状況も含めて。
夫が私に触れないのも、お腹の子を気にしてのことだと信じられたし、 エロい話は時々夫婦でするし、 触れなくても誘ってきて、そこで子どもが起きて中断、な日もあった。 ただ、だからまったくなくていい、ではなくて、 あったらあったでやっぱり必要で、幸せな時間だな、と思う。
体重管理はきちんとして、産後もこういう時間を作ろうと思う。 迷惑と心配をかけない程度に。
夫が触ればどこだって熱を帯びる。 今日いちばん敏感だったのは、肩だった。 こんな体を持つ自分と夫は、多分相性のいいほうで、大事にしなければならないと思う。 だから…… やっぱり痩せよう……!
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いつもそうなのだが、夫に抱かれた後の一日くらいは、 ずっとそのことを思い出している。
それで書き忘れたと思ったことが、今朝の夫は、 私よりずっと早く起きて、布団でまどろみながら、 寝ている私に可愛い可愛いと言ってくれていたのだ。
私が寝ていると思っているのだが、私も夫の声で少し目を覚ましていて、 私に言ってるのかな…?と思うくらいの余裕はあった。
子どもには素直にいつも可愛いと言ってくれるけど、私には言ってくれないなぁ、 まぁ実際可愛くもないけどー笑 と普段は思っているけど、 私が寝ていたり、今日みたいに子どもがいない日は、 私にも表現してくれる夫なのを知っているし、 知っていてもなかなかそれに出逢える日は少ないので、 今日は余計に嬉しくてしあわせだったんだなぁと思った。
ムートンブーツのことを考えていたら元彼のことを思い出した。 そして気づけば、…名前なんてつけたか忘れたけど…元彼の当時の彼女(最初浮気相手だった人)の年をとっくに過ぎていて、 彼女は今38くらいのはずなので、いくらなんでも結婚しているはず(誰でもいいけど)だよなぁとか。 当時はとてもじゃないけど可愛くないと思っていたムートンブーツ、 彼女の年になってみれば、機能性があって、海外のものなら可愛いなぁと思えてきた。 量産品のもさっとした感じが苦手なんだけど、スマートなものなら好き。
そんな自分の変化にしみじみして、 夫との関係も変化しながら、今も夫のことが大好きだし、夫になら全身性感帯だし、 夫も私を好いてくれてるのだなぁ、と、美人でもないのに、 美脚でもないのに、 どうしよう、書きながらもう今日死にたくなってきた。 お腹の子を思えばもちろん比喩だが、あぁ、古い私を殺せる日なのかもしれない。
痩せたらこれ以上の幸せが待っていることは確実なのに、 そうできないのは、リスクを払って幸せを受け取る勇気がない臆病者だからなのだ。 臆病者の私を殺すチャンスは、今日なのかもしれないのだ。
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