コミュニケーション。
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2016年09月08日(木)





ツイッターが自然派VS文明派で沸いている。
火傷した後に温める療法があるのだが、
「そんなの絶対ダメ!酷くなる!」というツイートが拡散されたのだ。


私は信頼している体術の方がその療法を実践されていたので、
信じるというか自分の軽い火傷で試したりしてみていたので、
あちらからすれば自然派ということになるのだろうが、
私からすれば、
どちらかに偏ってヒステリックに騒いでいるさまは同じである。


そして話題は火傷の療法の話から療法の記事を書いた人物に移り、
これがワクチン反対派の団体の代表だったので、
火に油となったのであった。
ワクチン反対とオーガニックと免疫療法と、
とにかく一般常識と西洋医学から外れたものは全て「自然派」に分類され、
そちらの世界から出てくるなと、まぁ半分くらいは叩かれている。
ワクチンに反対するということは病気の拡散にも繋がるので、
まぁ仕方ないかなという気がする。



陰謀論大好きな夫と結婚したので、
最初はそういうのを聞かされ、ワクチンにも懐疑派であった。
副作用、免疫力、などなどの点から。
なので、息子のワクチンの後半と、娘は最初からワクチンを受けさせていなかった。

が、それから数年経ち、
はしかや日本脳炎に罹ったら罹ったなりの後遺症、難病があり、
ワクチンを受けないならば受けないなりの生活をしなければならないと気がついた。

この現代社会、リスクはワクチンだけではないのである。
書き出せば、
電子レンジもオール電化もアルミ鍋もだめだし、
スマフォもiPhoneもWi-fiもだめだし、
そもそも、赤子が生まれたとき、エアコン調整された部屋にいてはいけない。

野菜も、有機ですらだめなので自然農で作られた野菜をいただくべきだし、
お肉は、どんな餌を食べて育ってきたかから調査し、信頼できるものでなくてはならない。
放射能などもってのほかなので、東北関東長野あたりまでは避難するべきだし、
放射能汚染された食べ物は食べられない。


これを、全てやっている人を知っている。
知っているから、私もできるような気がしていたが、
とてもとても。無理だ。
そして、そのワクチン反対派の代表のみならず、
それに追従している人々は、全てやっているのだろうか?という疑問がわく。


全てやっている人は、自給自足の生活で忙しく、
料理もおやつも全て手作りだし、
とても、ワクチン反対の運動などしている暇がないのである。


ここまできても、ワクチン反対派を否定する材料は何もない。
私の考えすぎでみんな全てやっているかもしれないし、
やりつつ運動もしているというスーパーマンの集まりなのかもしれないが、
えてして、この集まりは、
そうじゃない人々を見下す傾向にあるのが問題だと思う。


「毒と知らずにワクチン受けてばかなのか」とか、
「まだ紙おむつなの?」とか、「紙おむつとか紙ナプキンって石油なんだよ!」と、
よかれと思ってなのか上から目線なのかわからないことを言う人が多いのだ。
「そんなのやめなよ!」と押し付ける人も多い。
先ほどの団体の代表の記事は読んでいないので判断できないが、
そういう人々が少なからずおり、目立つせいで、
反発を生み、論争になってしまうのだと思う。
本来ならば、「よそはよそ、うちはうち」で解決する話なのだ。
ワクチンを打たなければ拡散されるかもしれないが、
文明派の人々はワクチンを打つので大丈夫だろうしな。


どうしてなのか詳しい心理はよくわからないが、結局、
「自分を特別と思いたいがその願望に気づかない人々が食いつきやすい」のが、
自然派や陰謀論ではないかと思った。
なぜなら、夫がそうだからだ(笑)


誰だって特別の唯一だ。
しかしそれは、どんな道を選ぼうとも変わらない真理であって、
他人を見下す必要も、その手段に頼る必要もない。
これは文明派にも言えることなのだが、文明派は必要以上に自然派を叩きたいわけではない。
自然派が貶めてくる(または、くるであろう)ことに対して反応しているだけだと感じられる。


オーガニックも布ナプキンも紙ナプキンもワクチンもワクチン拒否も、
全て、自分と自分の家族を守り、後悔のない人生を送るための手段に過ぎない。
他人と違う自分を演出するための道具ではない。
好きなほうを選べばよい。

よそはよそ、うちはうち。
なんて素晴らしい言葉なのだろうとひとり感激した夜中であった。




話が自分に戻る。
ワクチンを拒否し、できる限りのことはしていたものの、
上記のことを全てやるのは無理だと自覚した。
そもそも普通の病院で産んで気温調整されてたし、
(全てされている方は、自分の家でお産みになっている)
タイムスリップでもしないと無理だし、
しかもこれを一生続けていく覚悟でワクチンを拒否するというのは、
私にはできない、と諦めた。
できない私のためのワクチンなのだと悟った。

なので、昨日やっと娘にワクチンを受けさせた。
普段からゆるい感じの病院で、
「当時は自分の考えでワクチンを受けさせませんでした。でも変わったんです」
と言ったら、苦笑交じりで対応されただけで、怒られなかった。←



しかし、そういった決断をしてきた自分を、なんとも思っていない。
黒歴史だとかも思っていないし、
目の前の事実を疑い、自分を疑い、決断していく姿勢はこれからもやっていこうと思っている。
息子にも、これから生まれる子にもワクチンは受けさせる予定だが、
それは、「当たり前だから」「みんなやっているから」ではなく、
あくまで、「完璧にやれない私の自己満足」であると思って受けさせていく。


ワクチンを受けても、拒否しても、
何がベストの決断だったのか、結果が出るまでわからないのだ。
副作用で被害を受けている人は実際にいらっしゃる(子宮頸がんワクチンなども)し、
そういった方を無視もしたくない。
生ポリオを受けてポリオに罹った人もいる。
不活化ポリオの実施までに、どれだけの人々が尽力したことか。

息子のときはまだ生ポリオだった。
集団接種で、同意書を書かされるのだが、不安だった。
しかし、その不安に私はふたをしたのだ。
あのまま、万が一息子がポリオに罹ったら、私は悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
息子が今も元気にいることは、ありがたい奇跡なのだ。
そういった、不安や違和感にふたをする生き方は、もう嫌だった。
そのうえで、ワクチン拒否にも不安を持ち、受けさせたのだ。


本当は、このまま拒否したほうがよい結果が出たかもしれない。
リスクは同じだ。
同じならば、自分がやれること、可能性が高いと判断できること、をやるしかない。

自然派だろうが文明派だろうが、どちらかに傾倒することなく、
自分の人生を選び、家族を守っていきたい。



雪絵 |MAILHOMEBLOG

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