コミュニケーション。
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2016年06月26日(日)




高校時代はわりと黒歴史で、
別に元カレのことだけではなく、
進路もてきとーだったし出席もしてなかったのがダサいなぁ、
何でだったのかな、といつも振り返るんだけど、
当時は色ボケてたのもあって元カレのせいかなぁと思ってたんだけど、
最近は、母親も病気だったし、
それまでは曲がりなりにも保たれてた家族のバランスが崩れて、
私の生活習慣や未来への展望も崩れてたんじゃないかなぁと思うようになってた。

別に母のせいだけにしたいわけではなくて、
私自身、プライドだけが高くて脆い性格だったし、
そういう諸々コンボでガタガタだったのかなって。
想像だから、色ボケの可能性もあるけどね。

で、
何であの高校選んだのかって今日思い出したら、
鶏口牛後、進学校に行くよりばかなところに行って1番になったほうが、
私にはいいんじゃないかって当時の担任がアドバイスしたから。
私も担任信頼してたから、そうかもって思ったけど、
実際は、ほんとに周りがバカすぎて、1位なんて本気になればすぐとれて、
つまらなくなった。
でも、勉強は苦手でも、みんなちゃんと自分の将来を決めていて、
そこに向かって毎日出席していた。
それが私のできなかったこと。
コンプレックスだったのかも。

ソプラノ歌手って夢があっさりつぶれて、
音楽の先生にって言われたけど、親が先生だからなりたいとは思わなかった。
もちろん、親みたいにと思う子もいるだろうけど、私は違った。
じゃあ何になるのかって言われたら困った。
それはそれは困った。何もなかった。

ないならとりあえず大学に行こう、お前なら国立を目指せると言われたけど、
とりあえず、が理解できなかった。
試験には行かなかった。


今でもなりたいものはない。
ただ、思い出していて、
鶏口牛後……別に何かの1番にはなりたくなかったし、
今もなりたくないな、と思ったとき、
あぁ……私は私でありたかった、と思った。
今だって、私でありたい。
でも私とは何だろう。
高校のときも、そうやって模索していたのではなかったか。
だから、私を鏡として見せてくれる「彼氏」というものにのめりこんだのではなかったか。
そんなことを考えて、少し腑に落ちた気がする。





雪絵 |MAILHOMEBLOG

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