コミュニケーション。
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2016年06月13日(月)






つわりがあっても兆候がなくても万一のこともある、
と読んで以来、
診察に行かなければ不安な状態になった。

不安イコール母性本能だとか愛、ではなく、
万一があればまた予定が変わるし、イベントも行けるし、
何より、これまでの生活が変わらないではないか、
という、人でなしの思考によるものである。


大体、つわり以外に妊娠の実感がわかなかった。
最初のエコーを見たときの喜びもなかった。
それはそれでショックだったけど、それはまた別の話。


前2回のつわりの記憶がおぼろげということは何度も書いたけど、
つわりがおぼろげということは初期の記憶もおぼろげで、
多分、何度か診察があったから病院に任せていて、
結果、2週間に1度は順調な姿を見ていたのだから安心しきっていたのだと思う。

だから残っている記憶は、お腹が大きくなってからの、
あばらを蹴っただとか、逆にあまり蹴らない、女の子だからかしらとかの記憶で、
胎動も性別もまだ先、しかも無事に育っていたらの話、だと思うと、
気になって気になって仕方なく、
ちょっと早いと言われるのを見越して、検診に行った。


案の定そう言われたけど、拒否はされなかった。
血圧も尿も正常、子宮にも異常なし、
赤ちゃんは週数どおりの大きさ、順調ですよと言われた。
エコーで見えた赤子は、もう手足が4つ見えて、
頭もちゃんと丸くて大きくて、
私の心の第一声は、「あ、よかった」であった。
ほっとしていた。



それが、どこからくる気持ちなのかはまたわからない。
単に、万一のことがあって、自分を責めずに済んだ、ということかもしれない。
つくづく思うけど、
まだ声も顔も性格もわからない赤ちゃんを心底愛している、なんて、
ありえない話だ。
父性が、生まれてから育つものとされるように、
生物としての基本的に子どもを守る本能はあっても、
愛の泉があってわきでているわけではない、と思う。
もちろん、それを持っている人もいるのだが、
万人ではないので強制はできないし、少なくとも私は持っては居ないのだ。
2人を育てながらよくわかるのだ。




だから、赤子の順調ぶりをホッとしたからといって、
今回生まれたさまざまな自分を許す気もないし、妊娠を100%肯定できたわけでもない。
ただまぁ、選択肢がひとつしかなかったころよりは、
いいのかなぁ…、という気がしている。



雪絵 |MAILHOMEBLOG

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