コミュニケーション。
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2015年09月21日(月) まとまらない



私の日常には、いつも退廃的な匂いがしている。
夫のことも子どものことも、
なるようになる、運命には逆らわない主義。
ベタな話だが谷崎潤一郎の「痴人の愛」を無理なく読んでしまう、
そんなところがある。


寺島と恋愛していた時期は、
その感情を全肯定していたような気がする。
多分、寺島との恋愛がなければ、
夫より早くにあの声優と出逢い、上京し、
彼に貢ぐだけの生活を送っていたに違いない。
退廃の虚しさを知らないからだ。
かろうじてあんな日々は必要ない、と思えることが、
私の日常を支えている。


退廃的でも幸せには間違いない。
子どもを産まなくても経済に参加していることは確かなのだし、
誰の非難を受ける気もしない。
もし夫が私に愛想を尽かして私から子どもを取り上げたりしたら、
多分そうやって生きていく。
再婚も何もせずに。



頑張るのが苦手だ。
子どものころからずっとそうだった。
頑張らずに、好きなことだけやってきた。
その結果の毎日だから、好きなことしか残っていない。
モラルだとかお行儀だとか、
自分の感情とか恋だとか、そういうものを守っているわけではない。
そうだな、守るものなんて結局、
自我と愛だけだな。


声優を追いかけていくことだって、私にはできる。
やろうと思えばできる。感情のままに生きられるなら。
手段は何だってある。
子どもを捨てて自分の人生を生きて、なおかつ愛されるような人もいる。
私は、愛されなくたってかまわないとすら思う。
だからここに居る理由は。
私が、夫と子どもを愛しているから。



きっとこの愛に素直に尽くせば、もっと愛に溢れるのだろうね。
わかっているけど、駄々をこねるみたいに自我に生きている。


雪絵 |MAILHOMEBLOG

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