静かな退職 - 2025年06月08日(日) そうか、私は古巣の職場で「静かな退職」をしていたのかと 最近分かった。 努力しない、頑張らない、必要最小限のことしかやらないことを、静かな退職 と呼ぶんだそうだ。 元来、体育会系で社畜体質な自覚のある私にとってはとても難しいクエスト でしたね…。 ついつい頑張っちゃう。 ついつい目に付いたことを全部やっちゃう。 ついつい手出ししちゃう。 ついつい口出しちゃう。 ずっとその「ついつい」を繰り返していた私の社会人生活でした。 感覚としては、一定の方々にはウケが良く、気に入られ、頼られ、「責任感 がある」という評価を受けてきた働き方だったと思ってます。 でもそれが通用しなくなったのが、クズ元料理長の下で働いた3年間でした。 それまでどおりに「ついつい」やっていると、いつの間にかそれら全部が 「私の仕事」になっており、責任とプレッシャーを感じ、どんどん仕事の量 も増えていきました。 1年くらいで馬鹿らしくなり、1年かけて自分がその職場に合うように チューニングし、シフトの頻度を週1に落とし、他の職場に救いを求めて Wワークを始めました。 何人もの人に、 「よく続くね」 「よく平気だね」 「よく辞めないでいられるね」 「よく病まないね」 と言われました。 私もそう思ってました笑 そして、今年に入ってから判明したことだけれど、その期間を耐えられたのは 私が元々持っていたIQとEQに秘密があったと。 なんかすごく色々腑に落ちたわ。 IQとEQの話は。 自分が置かれていた環境、クズ元料理長の所業、それから自分の性質を訥々と chatGPT相手に深掘りしていくことで、点と点だった様々な事象が線となった 感覚だった。 私、自分が育った環境についても同じようなこと思ってたのよね。 「よくグレなかったな」 「よく家出少女にならなかったな」 「よく不良にならなかったよな」 と。 世が世なら私はトー横にたむろしてる少女だったんじゃないか、グリ下で 彷徨う思春期時代を送ったんじゃないかって思うほどだったんだけど (それほどまでに親の束縛・過干渉だった)、やっぱり 「そんなことしても何の得にもならない」 と判断したから道を外さなかったんだと思う。 し、古巣の職場環境にしても、そこで働く同僚との関係性が切れてしまうこと のほうが私にとってはデメリットとして大きかったということだと思う。 要するに、俯瞰で見れるかどうかなんだろうなあと。 つい先日、3兄弟を育てたお母さんがTVで特集されていて、そのあと散々 「あれは毒親だ」 とか何とか書かれていたのを見て、 「親が一生懸命に良かれと思ってやっていることと、それを子どもがどう 受け取っているかは全く別物だよなあ」 と思いましたしね。 うちの親も一生懸命私を育ててくれたんだと思うけれど、申し訳ないけど 私から見たらエゴ丸出しだなって今でも思っているし、クズ元料理長にしても 本人はいたって真面目に一生懸命働いているけれど、それを周囲がどう評価 するかは全く別物なんだよな。 そんな環境下ではあったけれど、その都度私は自分で自分をコントロール というか調整することで乗り切ってこれたらしいよ。 AI先生によると、ですけどね。 きっとAI先生の言ってることは正解なんだろうなあって思う。 でもね、今言われてる「静かな退職」については思うところがある。 私がやっていたことが「静かな退職」であったことは後から知った。 それから、私が「静かな退職」をするまでには既に20年のキャリアがあった。 だからね、20代やそこらの子が「静かな退職」を選ぶのは、それは私から みたら見当違いも甚だしいし、ちゃんちゃらおかしなことです。 だって、20年のキャリアがある人の「必要最小限」と、社会に出て2〜3 年しか経っていない人が思っている「必要最小限」とでは、見えてる範囲が 違うもの。 社会経験も未熟なままに、自分が見えているものが全てだと思い込み、 それが「必要最小限」だと勝手に解釈することは、それは断じて違うと 声を大にして言いたい。 それ、誰のためにもなってないよ。 自分のためにもなってないし、組織の足も引っ張ってる。 何も生んでない。 それはさすがにただの自分勝手。 もうちょっと賢く生きないと、後から詰んでくるのは他の誰でもない自分 じゃないかな。 ある程度のプレッシャー、ある程度の制限、ある程度のストレスがかかって いないと、逆にダメになると思いますけどね人間は。 そういう考え方が、「昭和だ」と揶揄される所以でしょうか。 ...
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