『庭の話』

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樹木と何とかタウン。

家族が今、住んでいる家に越して来たのは10年と少し前になります。
親の家であるので、初めに親が住み、6年ほど前から私も暮らしています。
家を購入した当時、土地会社は『街づくり』にそれは熱心でした。
少し離れた区域に、理想的な街づくりを成功させた場所があるので、そこを
意識したのかも知れません。

すっかり美しい街と言われるようになったBタウン地域は一帯の電線は埋設
住民に綺麗な空を見て貰うと言う、ちょっと気障にも思えるコンセプトで
あったと聞きますが、かかった費用は莫大な物であったと言います。
商業施設の誘致も 確かに完璧でした。

冬はイルミネーションを家ごと競うように点し、人が集まると言うその地域に
老境に入った両親は気後れを感じたのか、自然が残る今の場所を居住地に
決めたのです。

ところが、今の居住地の街づくりは『形から入る』 余り優しくない街として
スタートしていました。
「庭には必ず 指定したシンボルツリーを植える」
「以前の居住地から、樹木の持ち込みはしない」
「街の統一性から外れる家は建てない」

古い歴史を持つ街が、景観を守るのとは訳が違います。
・・・・・・何様だ。
いえ、ここまで判っていたら、おそらく家は建てなかったでしょう。
大切にして来た樹木を全部置いて来る事は、出来なかったでしょうから。
数件目に入居した、かなり高齢の、そして社会的な地位のある方が
「何を馬鹿な事を」
とばかりに、樹木を持ち込み放題に持ち込み、植えてしまったんだそうです。
一軒に許可して、他の家には駄目と言う訳には行かなくなったのか、それ以降は
なし崩しに、木は自由に植えても良い事になりました。
我が家は なし崩しのあとに建った家でした。ですが、二世帯同居でこの場所
を決められ、樹木を泣く泣く諦めたと言う方に「不公平だ」と随分嘆かれ
たのです。樹には愛情があったとの事です。それは判ります。
条件がいっそ変わらなければ、辛く感じる事も少なく済んだでしょう。

土地は売れませんでした。結局土地会社は土地を他の住宅メーカーに切り売り
して、そこからは全く別な街づくりがスタートしました。

初めに建った家には、サツキの樹が一列に(強制的に)植えられていました。
細い枝が、モロに道路に面しています。除雪される雪の重さに 耐えられる
筈も無いのです。どれほど施肥を行っても雪で3年も持たず駄目になります。
緑の葉に濃いピンクの花が一列になど、とてもとても。
サツキの下は硬い粘土が詰まっていました。施肥しても効率自体悪そうです。

サツキはやがて全滅し、植え替えると相当の金額になる事が判りました。
小さな潅木ですので、20本以上が必要です。
サツキを抜いて、育て上手な方に配りました。黒土を入れ、ギボウシや
アマ、やはり雪には弱いですがシモツケを少々、多年草を沢山植えました。
今時期は まだ汚いですが、6月頃からは見頃になります。

全く日陰になる場所にも、芝とサツキが。
全部引っこ抜き、そこはペレニアルガーデンとなってます。(そんな格好良い
もんじゃないですが・・・)
黒土を入れるだけなので、工事費はそれほどでは無かったです。
思い切ってやって良かったと、今は思ってます。雑草はすごく生えますけど。

若い方は芝を好みますが、二軒目として建てた方などは、雪に負けず根を
張る美しい木々を既に沢山持っていたりします。
それらが季節ごとに花開く事の美しさを想像出来ない人に 街づくりなど
有難くない話しだと思いました。

サツキは本当に重い雪が苦手です。樹にも気の毒です。






管理人 焙煎 |午後からガーデン