過去ログ一覧前回次回


2022年10月08日(土) 〆切りというもの。

私は作家のエッセイを好んで読む。で、誰のエッセイでもお目にかかるのが「〆切りが迫っているのに、どうしても書けない」という話だ。
あるとき、林真理子さんはある有名歌手からヒップホップの作詞を依頼された。
「メロディを口ずさめば詞は浮かんでくるだろう。一日でできる」
と思い、引き受けたが、何日たっても一行も書けない。レコード会社から頻繁に電話がかかってくるようになり、いよいよ焦って徹夜もしたがまったくだめ。とうとうレコーディング前日になり、なんとかひねりだした一番だけをファックスしようとしたら、夫がゲラゲラ笑いながら言った。
「なんだ、これ。ど演歌の詞じゃないか」
林さんは疲労と絶望感から本気で泣いたそうだ。

こういうのを読むと、自分がその渦中にいるかのようにどきどきしてしまう。
「やっぱりできませんでした」とレコード会社に電話をしたら、「実は本職の方にも頼んであったので、そちらを使わせてもらっていいですか」と返ってきた、という最後のくだりには「あ〜、よかった」と思わず声が出た。
この趣味を二十年以上つづけているくらいだから私は書くことが好きだけれど、それを仕事にしたいとは思ったことがない。
食事の支度をしていても犬の散歩をしていても、「早く済ませて今日の原稿を書かないと……」があたまから離れずいつもいらいらしている、というのもエッセイによく出てくる話だ。プロはアイデアが出ようが出まいが、期日までに形にしなくてはならない。その生みの苦しみ、書けないときのプレッシャーは大変なものだろう。
そんな生活を想像しただけで酸欠になりそうである。

いま読んでいる『〆切本』という本は、明治の文豪から現代の人気作家まで九十人の書き手による「〆切り」にまつわる文章を集めたもの。
言ってみれば、「書けぬ、書けぬ」の大合唱。教科書に載るような大作家が屁理屈をこねたり居直ったり子どもみたいな言い訳をしたりして、〆切りから逃れようとする姿には笑ってしまう……が、それは読む側だから。原稿を受け取る立場の人の苦労が偲ばれるエピソードがてんこ盛りだ。

〆切りの四、五日前に編集部に電話をかけてきて、「あー、君、今回の連載は休みだ!」と言ってがちゃんと切ってしまう大御所。催促の電話をするたび「あと二時間待って」を繰り返すため、編集者が気をきかせて四時間後に電話をしたら、「せっかく書いたのに二時間たっても電話がなかったから、頭にきて破いちゃったよ。お前のせいだ」と怒る作家。
またある作家は、隣の部屋で原稿を待ちかまえている編集者に「ちゃんと書いている」と思わせるため、一晩中、原稿用紙をめくる音をさせていたそうだ。一枚も書かずに。
そんなことに労力を使うくらいならたとえ一行でも二行でも書けばいいじゃないかとツッコみたくなるけれど、編集者に張りつかれようとカンヅメにされようと書けないものは書けないんだろう。

しかしその一方で、こうも考える。
じゃあ「いつまででもお待ちしますから、心行くまでお書きください」と言われたら、さらにすばらしい仕事になるんだろうか。

だいたい作家などというものは、通常の仕事も耐えられないから作家になったのだ。朝早く起きられない。満員電車の通勤に耐えられない。他人がこわい。力がない。こういう人間は作家にでもなるしかない。しかし、本来なにもしたくないのが作家的人格であるから、作家になったとしてもなるたけ仕事だけは避けようとするのが人情であろう。

高橋源一郎|「作家の缶詰」|『〆切本』|左右社


だとしたら、名作といわれているものの中にも「まだか、まだか」とお尻を叩いてくれる編集者がいなかったら生まれなかった作品、完成しなかった作品があるにちがいない。
あるとつらいが、なかったら困る。それが〆切りというものなのかもしれない。

さて、私もこの日記をあげたらレポートに取りかからないと。放置してすでに一か月……。

【あとがき】
イメージ的に村上春樹さんは〆切りを守りそうだなと思っていたら、やっぱりそうでした。「締め切りの三日くらい前には仕上げてトントントンと原稿用紙の角を揃えて机の上に積んでおかないとなんとなく落ちつかない」そう。
ですが、「こんな作家ばかりだったら、編集者はありがたいだろうなあ」と思うのは素人考えのようで。
村上さんの目には、編集者は「もう〇〇さんにはまいっちゃうんだから」とグチりながらも、作家の家に泊まり込んだり受け取った原稿を車を飛ばしてデッドライン寸前に印刷所に放り込んだりといったことを楽しんでいるようにも見えるそうだ。

これでもし世間の作家がみんなピタッと締め切りの三日前に原稿をあげてしまうようになったら――そんなことは惑星直列とハレ―彗星がかさなるほどの確率でしか起こり得ないわけだが――編集者の方々はおそらくどこかのバーに集まって『最近の作家は気骨がない。昔は良かった』なんて愚痴を言っているはずである。これはもう首をかけてもいいくらいはっきりしている。

村上春樹|「植字工悲話」|『〆切本』|左右社

〆切りに苦しめられるのは書く側だけではない。でもすばらしい原稿を受け取ったとき、苦労は吹き飛ぶんだろうな。