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2022年09月19日(月) 金魚すくいの哀れ

仕事の行き帰りに通りがかるマンションには小さな池がある。直径五、六メートルの人工の水場だ。
昨日もいつものようにその横を通り過ぎようとしたら、年配の男性が柵から身を乗り出すようにして水面を眺めているのに気がついた。なにを見ているんだろうと目をやると、小さな赤い魚がいっぱい。
「あら、金魚がいるんですね」
思わず話しかけたら、男性は「そうなんですよ……」と困った顔をした。私はスイスイと泳ぐ姿がかわいいなと思ったのだが、男性はその状況を好ましく思っていないようだった。
「もともとここにはなにもいなかったんですよ」
「そうなんですか。じゃあ誰かが飼えなくなって放した金魚がこんなに増えたんですね」
すると、男性は首を振った。
「繁殖したんじゃないんです。今年は夏祭りがあったでしょ。これ全部、金魚すくいの金魚ですわ」

男性によると、このひと月のあいだに一気に増えたという。浴衣姿の子どもと父親がビニール袋の中身を池にばしゃっと空けたのを見たこともあるそうだ。
祭りの帰りに!?と驚いたが、いや、ありうるなとすぐに思い直した。何日か前に、祭りの翌日のゴミ捨て場にビニール袋に入った金魚が放置されていたというネットニュースを読んだからである。そして、その記事つながりで見たツイッターにはさらに胸が悪くなった。
「金魚すくいでとった金魚を飼ってあげようと思ったけど、やっぱり自然に返すことにした」
と三匹の金魚を生きたままトイレに流す動画を投稿していたのだ。

「ここだったら、罪悪感なく捨てられるんでしょう」
マンションの自治会長をしていたという、その男性がため息まじりに言う。
容易に想像できる。子どもにせがまれ金魚すくいをさせたはいいが、祭りの余韻が覚めたら気づいたのだ。飼う気はまったくないことに。
さて、これをどうしようか。
そうだ、あの池に放せばいい。水があるから、とりあえずは生きられるだろう。子どもには、
「金魚さんは狭い水槽でひとりぼっちでいるより、お友だちがたくさんいるところで暮らすほうが幸せだよ」
と言い聞かせて。
おおよそこんなところだろう。「捨てた」なんて思っていないにちがいない。



私も子どもの頃は金魚すくいをした。しかし、フンで水が汚れないよう彼らはエサを与えられていないと聞いてから、縁日の金魚すくいを見て無邪気に「夏の風物詩だなあ」とは思えなくなった。
「飼えないから」「どうせすぐに死んでしまうから」もらって帰らないという人もいるけれど、私は子どもに「生き物で遊んではいけない」と話した。
ポイから溶けだした糊で汚れた水の中にいる金魚を追いかけ回して、さらに弱らせるようなことをしてほしくない。金魚を育てたいというのであれば、ちゃんと準備をしてお店に買いに行こう、と。

家に生き物がいれば、子どもに命の教育ができるのではない。
「金魚すくいですくった」ただそれだけの理由で持ち帰った金魚が、カルキ抜きもしていない水道水を張った洗面器の中で弱り、死んでいく姿を眺めているだけでいったいなにを学べるというのか。
「あーあ、死んじゃった」
「やっぱり金魚すくいの金魚は弱いね」
そうじゃない。
一生懸命世話をしてかわいがるという経験なしに、命の尊さや生き物と暮らす喜びを知れるはずがないのだ。

ゲームセンターで目を疑うような光景を見たことがある。
人垣の中心にUFOキャッチャーをする家族連れがいた。
「手前のを狙え」
「もうちょっと右」
父親が指示を出している。クレーンで吊り下げられていたのは、生きた伊勢海老。ガラスケースが水槽になっていて、底には伊勢海老が折り重なっていた。
おとなは子どもに「食べ物で遊んではいけない」と教える。なのに、生き物をおもちゃにすることはどうしてなんとも思わないんだろう。

【あとがき】
うちには金魚やメダカがいることが多かったですが、水槽の掃除や水換えはなかなか手間です。覚悟がないと飼えません。
十年以上生きて、「あなた……鯉だったの?」と思うくらい大きくなった金魚も何匹かいました。もっと広いところで泳がせてやりたくて庭に池をつくろうかと考えたこともあったなあ。金魚でも猫でも、のびのびとしている姿を見るのは幸せなものです。