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2022年05月01日(日) あなたがおばさんになっても

読売新聞紙面の「小町VOTE」というコーナーに、
「『そのバッグかわいいね』など持ち物を褒めたときに、『これ、安かったの』と答える人の気持ちが知りたい。謙遜なのか自慢なのか、判断がむずかしい」
というトピが載っていた。
即座に「え、そりゃ自慢でしょ」とつぶやく私。「いやいや、安物ですよ」なら謙遜、もしくは事実を述べているのだろうが、「これ、安かったの」はいいものを安く買えたことを誇っているのだ。

関西に住んでいるためか、こういうやりとりは日常的にある。が、中にはトピ主のように首をかしげる人もいるようだ。
大学時代のこと。サークルに顔を出した就活中の先輩がスーツ姿を褒められ、得意げに言った。
「このネクタイ、百円やぞ百円」
すると、私の隣に座っていた同期の男の子が「言わなきゃバレないのに……」とぼそっ。安物だなんてどうしてわざわざ自分から言うんだ?黙っていればわからないのに、と思ったらしい。
でも、そうじゃないんだなあ。むしろ、彼は「百円」とバラしたいのよ。

「なあなあ、これいくらやと思う〜?」と持ち掛け、「え、まじで?めっちゃええやん!」と“目利き”を認められるとホクホクする------というのは、私にもよくわかる。高価なものをいくらしたと明かすのははしたないと感じるが、「こんなにお安く買えちゃった」は話のネタにして、その感動を誰かにわかってもらいたくなる。
先日も電車の中で、
「このピアス、イチキュッパやってん」
「やっぱそのくらいするよねー。かわいいもん」
「1980円ちゃうで、198円」
「え!どこで!?」
という女の子の会話を聞いたばかり。“安かった自慢”は私の周囲ではお約束の、楽しいコミュニケーションである。



ところで私にも、相手の真意を測れずいつもリアクションに困ることがひとつある。若い女性の「もうおばさんだから」という言葉だ。
アラフォーやアラフィフの女性であれば、「だから大目に見てね」というエクスキューズか、ただ事実を述べているだけで深い意味はないかのどちらかだろう。しかし、二十代の人だと本音なのか謙遜なのか自嘲なのかわからず、どう返答したものかと考えてしまう。
否定されることを期待しているのかなと「え〜、二十代なんて若い、若い」「ほぼスッピンで人前に出られるってことが若い証拠だよ」と言ってみたり、「ちょっとぉ、それを私の前で言う?」とつっこみを入れたりするが、どうしてこちらが気を回さないといけないのかしら……と思う。
安かった自慢は「お得情報、聞けちゃった」と喜ばれたり、「いや、もっと安いところを知ってる」と盛り上がったりする。でも、おばさん未満の人のおばさん宣言は何も生まず、誰ひとり楽しい気分にならない下げ会話だ。


女ざかりは19だと あなたがいったのよ

(森高千里『私がオバさんになっても』)

「若いうちが花」と思っている人にとっては、十代か二十代前半がピークであとは失われていくばかり……なのかもしれない。
しかし、人の“旬”は若いうちであるとはかぎらない。むしろすっかり大人になり、自由に使えるお金や時間を持ったり自分の意思で人生を選択したりできるようになってからが本領発揮という気がする。
私自身、仕事面ではまちがいなくいまが満開、花ざかり。年齢で自分の価値や可能性をジャッジするなんて、本当につまらないと思う。

とうとう大台に乗ってしまった、とあなたは観念したように言うけれど。
おばさんになっても、なにもあきらめることはない。それに、そんなにいそいでおばさんになる必要もない。そのうち嫌でもなれるんだからさ。

【あとがき】
『私がオバさんになっても』は、森高さんが二十歳を過ぎた頃に「女ざかりは十九だよなー」と言われてムッとしたことがきっかけでできた曲(森高さん作詞)だそうです。
三十年前にリリースされたのですが、女ざかりが十九歳とはびっくり。だったら、女性が“おばさん”と認定されるのもいまよりずっと早かったでしょうね。