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2021年12月19日(日) 大門未知子にはなれないから。

女性患者の四人部屋を訪ねると、カーテン越しに世間話をしていることがよくある。
そんなときは処置をしながら会話に混ぜてもらうことがあるのだけれど、今日はいつもと様子がちがった。部屋の入口で「失礼します」と声をかけた途端、話し声がぴたりとやんだのだ。
看護師の愚痴でも話してたのかな、と思いながらAさんに点滴ボトルの交換に来たことを伝えると、バツが悪そうに、
「いまね、空気殺人の話をしてたの。ほら、施設で介護士が患者に注射器で空気を入れて……って事件あったでしょ」
と言った。

その話題だったらべつに看護師に聞かれても支障はない気がするけどなと思っていたら、Aさんがつづけた。
「その患者さん、抵抗した様子がなかったんだって。なにも気がつかないうちに……だったんでしょうね。それで、もし近くにそういう人がいたら怖いねって話をしてたの。ううん、ちがうの、ここの看護師さんはいい人ばかりだから、もちろんそんな心配はしてないのよ」
あはは、まるで言い訳をしているみたい。私に途中まで聞かれてしまったと思い、気を遣ったのかもしれない。

とそのとき、「けどな、ニュース見とったら気色の悪いんおるで」と合いの手が入った。
隣のベッドのBさんは思ったことをズケズケ言うので苦手だという同僚もいるが、私は嫌いじゃない。
「どっかの病院でも消毒薬入りの点滴された患者が死んどったやん。うちら、なにされててもわからんもんな。そやからいまも、『せいぜい恨まれんようにせなあかんな』って話しとってん」
あちゃー。BさんはAさんの配慮をぶち壊した。

たしかに、“気色の悪いん”がいるのはどこか遠い町の病院だとは限らない。
ずいぶん前であるが、私の職場でも患者のテレビカードの紛失がつづくという不可解なことが起きたことがある。買い直してもしばらくすると、またなくなったと訴えがある。それがいつも同じ人たちなのだ。
「収集癖のある認知症の患者さんがあちこちのテレビカードを集めて回ってるとか?」
「スタッフの誰かがテレビカードの残高を精算してフトコロに入れてるんじゃないの」
みなであれこれ推理したが、どの説も「特定の患者のテレビカードがなくなる」という点を説明してくれなかった。

が、真相はある日突然、判明した。
当時、ベッドのシーツを交換してくれる人が週に数回来てくれていたのだが、彼女が病室のテレビからカードを抜き取るのを同僚が目撃したのだ。報告を受けた師長が確認したところ、その人の所業だったことがわかったのだが、驚くべきはその動機。
「テレビを見ているからとシーツ交換に協力してくれない患者がいて、いつも困っていた。カードがなくなってテレビが見られなくなれば、仕事が進むと思った」

ベッドを空けてくれないからといってこういう方法で解決を図るのか。いい年をした大人がそんな短絡的な発想をすることがとても不気味だった。
患者もそんなこととは夢にも思わなかっただろう。まったく、なにが理由で“恨み”を買うかわからないものだ。



患者は「悪意」を恐れる。
しかし、私たち看護師も恐れているのだ。自分もいつ患者を傷つける側になるかわからない、と。
それは、きっかけがあれば自分も空気の入った注射器を握りしめて患者の枕元に立ってしまうかもしれない……という不安ではない。患者の安全を脅かすのは悪意を持った人間だけではないと知っているからだ。

三十年も前に新聞で読んだ牛乳点滴事故を覚えているのは、「看護師免許を持った人がそんなミスをするのか!」とあまりにも驚いたからである。
しかし、入職して数か月の一年生が初めて胃ろうから栄養剤を注入する場面に立ち会ったら、彼女はコーヒー味の飲料を満たしたチューブの先端をどこに接続すべきか迷っていた。患者の体には何本ものカテーテルやドレーンが留置されていたとはいえ、完全に知識不足である。
もしこのとき、指導する看護師がついておらず、かつ彼女に自己判断してしまう傾向があったら……。
教育体制が整っていなかったり、わからないことを「わからない」と言えない雰囲気の病棟は世の中にいくらでもあるだろう。だから、どこで“牛乳点滴事故”が起こっても不思議ではないといまは思う。

病棟での看護業務は医療事故と隣り合わせだ。
患者が点滴のクレンメ(滴下数を調節する部分)を触り、医師指示の何倍もの速度で薬剤が投与されたり、「飲んでおいてね」と薬を渡したらシートごと飲み込んだり、食事の途中で義歯を外して誤嚥窒息したり、ひとりでトイレに行こうとしてベッド柵を乗り越えて転落したり。
患者についての分析が不十分で危険を予測できていなかったら、こういうことが起きてしまう。
患者は障害が残ったり寝たきりになったり、最悪の場合死亡するかもしれず、その日の受け持ち看護師のショックは大変なものだ。

まあ、そのような重大事故はそうあることではないが、インシデント(ヒヤリハット)レポートを書いたことのない看護師はいないと思う。
「私、失敗しないので」
と言える人はドラマの中にしかいないのだ。
人間はミスをする生き物である。だから、これからも私は自分の無知や怠慢や“うっかり”を恐れながら、病室に向かおう。

【あとがき】
看護学校時代、先生が「なにかあっても、ドクターや病院は守ってくれないからね。自分の身は自分で守るしかない」と言っていたのを思い出します。
「自分の身を守る」とは、事故の当事者にならない(事故を起こさない、あらぬ疑いをかけられない)こと。
だから私はなにをするときもマニュアルを守る、知識やスキルを高める、同僚との関係を良好に保つ、カルテを正確に書く、パソコンのログアウトを忘れない、を意識しています。