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2021年10月27日(水) クラウドファンディングと違和感

同僚の話である。
彼女は一年ほど前に、クラウドファンディングで「訪問看護ステーションを開設したい」というプロジェクトに出資した。しかし、お礼のメッセージが届いてから活動報告があったのは数回で、春以降はなしのつぶてだという。
計画では六月開設となっていた。遅れているにしても、連絡がないのはどういうことなんだろう。
「準備からオープンまで逐一ブログで報告していくっていう話だったの。私も将来的に訪看を立ち上げたいと思ってるから、勉強になると思って支援したんだけど……」
すると、
「半年以上活動報告がないなんて、あきらかにおかしいでしょ」
「初めから計画を実行する気があったのかあやしいよ。詐欺なんじゃない」
「どこの誰ともわからない人によくお金出したよね」
とその場にいた人に口々に言われ、彼女はうなだれた。



クラウドファンディングの“おいしさ”を説く人に出会ったことがある。
彼女は「お金がないからってやりたいことをあきらめるの?」と不思議そうに言い、自身は「ネイリストになって、プライベートサロンを開きたい」と訴えて資金を調達したことがあるという。
「掲載料はタダなんだから、ダメ元でやってみたらいいの。お金が集まったらラッキーだし、集まらなくたって失うものはないんだから」
「支援者は『不確実性』っていうリスクを承知の上で出資してるから、計画が成功しなくてもペナルティはないよ。私もネイルスクールを途中でやめちゃったし」
彼女の“クラファンノススメ”を、私はうんざりしながら聞いたのだった。

クラウドファンディングとは、実現したいアイデアや思いを持つ人がインターネットを通じて世の中に発信し、共感してくれた人から必要な資金を集める仕組みである。
しかしそのサイトをのぞくと、「こんなことで人からお金を集めるのか!」とあ然とするものが見つかる。
「人気ストリーマーになって生計を立てるために、ハイスペックなゲーミングパソコンが必要なんです」
「失業中ですが、マイホームの夢をあきらめたくありません」
「モテる男になるために本気で痩せたい。私をライザップに通わせてください」
先立つものがなければパソコンは買えないし、無収入だったら家を建てるどころでないのは当たり前の話。「クラウドファンディングで思いをカタチに」を履き違えている。
「あなたのお金で借金を返したい」というプロジェクトを立てた、“アラサー独身OL”と名乗る女性。
「『借金は自分で返すもの』という常識を壊してもし誰かのお金で返せたら、そんな選択肢があったら、すっごくおもしろくないか?って思ったんです」
匿名で何百万円もの支援を呼びかける彼女には驚きあきれるばかりだが、運営側にはひとこと言いたい。手数料収入目当てに審査が名ばかりになっていませんか。
こんなものが掲載されていたら、「へえ、お金に困ったら、クラファンでカンパを募ればいいんだ」と思う人が出てきても不思議ではない。
もしこの先なにかのために資金調達が必要になっても、私だったらそんなプラットフォームは選ばない。お金が関わることだからきちんと管理されている場所で、と考える人は少なくないと思う。
立ち上げた本人にしかメリットのない私的なプロジェクトに埋もれて、おもしろいアイデアや将来性のあるサービスを見つけにくくなるのは「魅力的なプロジェクトがあったら応援したい」と思っている人にとっても不利益だ。

そしてもうひとつ、クラウドファンディングサイトを眺めているとしばしば覚える違和感がある。
インターネットをしていると、「READYFOR」というクラウドファンディングサービスの広告が頻繁に表示されるのだが、ペット関連のプロジェクトが多く、猫を飼っている私はついクリックしてしまう。
「僧帽弁閉鎖不全症のマルチーズの女の子の命を助けてください」
「猫伝染性腹膜炎を発症した一歳のマンチカンにどうか救いの手を」
ペットの治療費の支援を求めるプロジェクトがずらり並んでいる。そして、たいてい「検査と入院、薬代で百万円と言われたため、通院費とクラウドファンディングの手数料を加えた百三十万円の支援をお願いします」という具合に目標額が提示されているのだけれど、いつも疑問に思う。
「かかる費用のすべてを支援に頼るのか。自分でなんとかする部分はないんだろうか」

ペット保険には入っていないのか、ペットのための積立は?家計を見直したり、アルバイトをしたり、使わないものをメルカリで売ったりしたのか。親兄弟にお金を貸してほしいと頼んでみたのか。
これらは私の中で、「見ず知らずの人を頼る前に飼い主がやるべきこと」である。しかし、「手を尽くしたけど、あと○十万円どうしても調達できなかったので力を貸してください」と書かれてあるのをほとんど見たことがない。
だから、二十七年間乗りつづけた車をオークションに出品して猫の治療費をつくった男性の話には胸を打たれた。「なにを手放しても、ぜったい助ける」という覚悟が人の心を打ち、予想もしなかった展開につながったのだろう。

クラウドファンディングも治療費を工面する手段のひとつ。でも、「この子は私たちの家族なんです」と訴えるのなら。
男性のように大きなお金に換えられるものを持っていなくても、できること、やるべきことはあるんじゃないか。プロジェクトシートの文面を考える前に。

【あとがき】
治療費を捻出するために車を売ることができる人は多くないでしょう。生活があるから、それはしかたがない。でも、そのかけがいのない家族のために生活を切り詰め、貯金を崩し、本気で「自力でなんとかしよう」としたか。そこじゃないかな。
どんなプロジェクトにも言えるけど、見ず知らずの人を頼るのは最後の最後。私はそう思っています。