過去ログ一覧前回次回


2007年07月03日(火) 「死」というもの

夫の元同僚が亡くなった。
夫が転勤で大阪に来たばかりの頃のOJT上司で、年齢が近くなおかつ関東出身、一人暮らし同士だったので、会社の後よく飲みに行ったりしていた人だ。ひとりの友人もいない土地で、夫にとってはありがたい存在だったに違いない。
健康診断で不具合が見つかり即入院になったと聞いたとき、芸能人でもその病気で若くして亡くなる人がときどきいるのでものすごく心配をしたが、しばらくして退院、退職してここ何年かは実家で自宅療養をしていたのでそう悪い状態ではないのだろうと思っていた。
しかし昨日、新しい一日が始まったばかりの時間に彼は眠りについたという。

結婚前に私と夫が幹事になって合コンをセッティングしたことがある。そのとき初めて彼に会ったのだが見るからに「イイ人」という感じで、乗りのいい女性陣からその場であだ名をつけられていた。私の友人たちは面食いだったので私の「誰かとくっついてくれたらおもしろいのに」という勝手な思いは叶わなかったが、みなが「○○ッチはぜったいいいダンナさんになるよね」と言っていたっけ。
その後も私には夫と彼の三人で食事をする機会が何度かあり、彼の思い出がいくつかある。直接の知人友人という間柄ではないけれど、今回のことは丸一日たっても「そっかあ、気の毒だったねえ……」では片付けることができない。

このところ、若くして亡くなる人の話をちょくちょく聞く。
少し前に知人のご主人が仕事に追い詰められて自殺をしたとき、「妻子を残して死ぬなんて」「死ぬ気になったらどんなことでもできたでしょうに」と言う人も周りにはいたが、それは何も知らない他人だから言えることだな、と私は思った。
自分が死んだ後のことを考えたら、傍の人間が思う何百倍も本人が無念だったに決まっている。妻子に詫びながらそれでもそれを選んだのだとしたら、それほどもがき苦しんだということじゃあないか。
もしそばに死を選ぼうかどうしようか迷っている人がいたら、私は思いとどまるよう必死で説得するだろう。けれど、もう死んでしまった人に「あなたは間違っていた」と言うことは……できない。
間違っているもなにも、彼の前に道はそれしかなかったのだから。


誰かが亡くなったという知らせを聞くといつも、動かなくなった目覚まし時計が頭の中に浮かぶ。
ある日突然時を刻むことがなくなるものもあれば、最近時計がよく遅れるなあと思っていたらやがて止まってしまうものもある。

今日はオチも結論もない。ただ、「私たちの中の電池はいつか切れるのだな」という話である。

【あとがき】
それも寿命だったと言われればそうなのかもしれない。でも若くして亡くなったと聞くのは本当に悲しいものです。