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2007年06月22日(金) 忘れ物はありませんか

ナインティナインの矢部浩之さんの会見をテレビで見ながら、「そういうこともあるんだなあ」と思った。
そういうこと、とは「結婚を申し込んで断られること」である。矢部さんはこのたび十五年来の恋人にプロポーズしたが、「いまさら遅いよ」と言われ、結局別れることになったという。
交際を申し込んで振られるというのはよくある話であるが、結婚を申し込んで断られるというのはあまり聞かない。そりゃあそうだ、「付き合ってください」は片思いの相手にするものだが、「結婚してください」は恋人関係にある人に対してするものだから、はなからリスクの大きさが違う。愛の告白を「いちかばちか」「ダメモト」ですることはあっても、プロポーズを玉砕覚悟でする人は少ないだろう。
そして矢部さん自身も断られるとは思ってもみなかったようである。いや、無理もない。両親公認で十数年間同棲生活を送っている相手が自分との結婚を望んでいないだなんて、イメージするのは至難の業だ。
「もっと早くプロポーズしていればこんなことにはならなかったと思う」
と言っていたが、たしかに彼は待たせすぎた。

* * * * *

結婚に至る道のりには私にも切ない記憶がある。
夫とは二十四のときに出会った。楽しい日々だったが、私にはひとつだけ気がかりがあった。それはいつまでたっても結婚話のケの字も出ないこと。
口にしないだけで、実はそういうこともちゃんと考えてくれている……と思いたかったが、彼にとって「結婚」がまだまだまったく他人事であるということはその言動から明らかだった。
彼は同い年であるから、女の私よりそれを意識するのが遅れることはわからないではない。けれども私の中にはいつからか、
「二十代なかばを過ぎた女と付き合っているという自覚はあるんだろうか」
という思いが芽生えていた。会社の同期や学生時代の友人の男の子と話していると、「アイツ(彼女)もいい年だし、そろそろ考えてやらないとなー」なんてセリフがしばしば聞かれる。私はうらやましくてしかたがなかった。いますぐ結婚したいというわけではない。ただ、将来的には可能性があるのかどうかということは知っておきたかった。それさえわかればやきもきせずに待てるのに……と。

その気持ちは付き合いが三年目に入る頃から急速に膨らんでいった。
「その気がないのであれば付き合い続けることはできないな。たとえどんなに好きでも……」
そんなことも心に浮かぶようになった冬のある日、彼から今年のプレゼントはなにがいいかと訊かれた。二十七の誕生日が目の前だった。
「だったら指輪がほしい」
私にはものすごく勇気のいる言葉だった。
それまで一度も彼に結婚する気があるのかどうか確かめられなかったのは、見栄やプライドの問題ではない。
「適齢期の女と付き合っているというのがどういうことか、ということくらい察することのできる人であってほしい」
という思い。そして私はやっぱり、結婚についてはこちらからせっつく形ではなく彼から言いだしてくれることを願っていたのだ。
しかし、誕生日に贈られたのはバカラのペンダントだった。
「リクエストに副えなくてごめんね。指輪ってやっぱり特別なもののような気がするんだ。結婚とかそういうときにあげるものっていうか」
男の人のこういう考え方は嫌いじゃない。でも、途方もなく悲しかった。

その数ヶ月後。いつものように週末に泊まって行った彼を朝、玄関で送り出した私はドアを閉めるなりつぶやいていた。
「あー、もう疲れちゃったな」
自分の声にはっとした。そのうち、きっとそのうち……と思うようになってどのくらいたつだろう。いったいいつまで待てばいいのか。
そしてふと思った。
「もしこのまま私から電話もメールもしなかったらどうなるんだろう?」
自ら別れを切りだして関係をリセットしてしまいたい、というほど積極的な衝動ではない。しかし、プロポーズどころか彼に結婚する気があるのかないのかさえわからない、宙ぶらりんの状況にもううんざりしていた。
私は思いつきのような気持ちでその日から連絡するのをやめてみた。
……そうしたら。
彼からの連絡も潰えた。まるで二人同時に同じことを思いついたかのように。
二年半の日々は不思議なくらい自然に、跡形もなく消滅した。


「おひさしぶりです、○○です。伝えたいことがあるので会ってもらえませんか」
彼からメールが届いたのは十ヶ月後である。
私はもう連絡すまいと決意した二ヶ月後にマンションを出、実家に戻っていた。共通の友人もいない私と彼の間に残る連絡手段はメールだけだった。
離れてからも私は彼を忘れられなかった……とは言わない。その頃には頻繁に会っている男の人もいたし、なにより「私はそこそこの年で結婚したいのだから、いつまでも彼に思いを残していたってしかたがない」と思っていたから。
だからそれを受け取ったとき、「いまさらなんの用なの」といぶかしく思った。彼は私以上に現実的なタイプ。過ぎた日を懐かしんで会いたいと言ってくるような人ではない。考えられるとしたら、転勤で大阪を離れることになったとか結婚することになったとかで、ちゃんと別れていなかったからけじめをつけようとして……ということくらいしかないと思った。
しかしそういうことなら私は会うつもりはない。さよならの言葉があろうがなかろうが、どちらが振ったか振られたか定かでなかろうが、十ヶ月も音信不通なら別れは成立している。あらためて確認するまでもない。
すると、また短いメールが届いた。
「そういう話ではないので、時間を作ってもらえませんか」

はるばる私の実家の最寄り駅までやってきた彼と喫茶店でお茶を飲んだ。
電話をしたら「現在使われておりません」のアナウンス、それでマンションに行ったら別の人が住んでいて、私が引っ越したことを知ったのだと彼は言った。
「それで今日こうして来たのは……忘れ物をしたことに気づいたからなんだ」
「私の部屋に置いてあったものは全部、宅配便で送ったはずだけど」
「ううん、そうじゃなくて。自分が人生の途中でとても大事なものを落としてきたことに気がついたの。だから取りに来た」
意味がよくわからず黙っていたら、彼が続けた。
「もう一度やり直したい。結婚を前提に付き合ってください」

その翌年、私たちは結婚した。


いつも当たり前にそばにあるものほどぞんざいに扱ってしまうもの。
でもあんまり放ったらかしにしていると、それをなくしたとき、いつどこでだったかわからなくなってしまうから気をつけて。
忘れ物は二度と戻らないことのほうが多いのだから。

【あとがき】
自分からはどうしても言えなかったんですよね、「あなた、私といつか結婚する気はあるの?」とは……。
どうして私と連絡を絶ったのか、その間どうしていたかは彼には訊きませんでした。他に気になる人ができていたのかもしれないし、自分にはまだ結婚する気がないのに適齢期の私と付き合い続けることが重くなっていたのかもしれない。そこのところはわからないけど、でもそんなの訊いたって意味がないよね。再スタートに必要なものは「やり直したい」と戻ってきた、その事実だけ。よく迎えに来てくれたなと感謝しているし(私が彼の立場だったらできただろうか?)、夫の(人間的な)たくましさはこの「忘れ物を取りに戻る勇気」にも表れているような気がします。