過去ログ一覧前回次回


2007年05月29日(火) 表の顔と裏の顔

買い物の帰り道、電車の中でばったり同僚に会った。
「ねえ、例の面談終わった?」と彼女。私たち派遣社員の契約は三ヶ月更新のため、年に四回、契約更新の意思を確認するための面談が行われるのだ。「もう済んだよ。九月末まで更新しといた」と答えたら、彼女は不愉快そうに言った。
「私は六月いっぱいで終了。次の更新はなし、やって」
え!と思わず声をあげる。彼女の成績は知らないが、勤怠その他に問題があったとは思えない。経験が長くなればなるほど重宝される職種であり、ふつうに仕事をしていたら契約を打ち切られることはまずないと思っていたので驚いた。いったいどうして。
「○○さん、私のこと嫌ってるからねー。課長にあることないこと言って、アイツは使いづらいとか訴えたんだと思うよ」
○○さんとは派遣社員の取りまとめをしている三十代なかばの男性である。一年ほど前に別の支社からやってきた人であるが、いつもニコニコと物腰は柔らかく、決して偉そうな口を利いたりしない。私の目にはそう映っている彼が赴任してきた頃から彼女のことを疎んじていて、ふだんから冷たく当たっていたと聞かされても、「まあ、そうなの」と相槌を打つことはむずかしい。
「あの人、みんなのいないところでは豹変するよ」
その言葉を裏付けるような場面を私は見たことがないのだ。

しかしだからといって、彼女の被害妄想なのでは?というふうにも思わない。一年やそこいら同じ職場で働いたくらいで、「そんな人じゃないよ」と言えるほど私が彼のことを知ることができるはずがないから。
「裏表のない人」という言葉があるけれど、実際にはそんな人間はいない。どんな善人もどんな単細胞も、人は誰もいくつもの顔を持っている。そして自分がふだん見ているのは、これまでに見たことがあるのは、そのうちの限られた顔でしかないのだ。

* * * * *

「思いも寄らない面を持っている可能性は誰もにある」で思い出したことがある。
私が以前勤めていた会社にAさんという四十くらいの男性がいた。コワモテの上につっけんどんな話し方をするので最初は苦手だなあと思っていたのだが、彼の下で働くうちにものすごくまじめで責任感の強い人だということがわかった。休みをほとんど取らないのは完璧主義で人まかせにできない性分だったこともあろうが、部下に休みを回すためというのが大きかったと思う。顔は怖いが、実は私たちのことをよく考えてくれている上司だったから、彼が異動で部署を去るときにはみなで盛大に送り出しをした。
だから、Aさんが会社のお金を横領して懲戒解雇されたと聞いたときはまったく信じられなかった。私だけではない。たった数百万のために職を失う危険を冒すなんてあまりに馬鹿げているし、なにより「あの人に限って」とみなが思った。
詳細が伝えられるにつれ、事実だったのだと信じざるを得なくなったが、それでも私の中からなにかの間違いではないかという気持ちは抜けきらなかったし、「業者にそそのかされて魔が差しちゃったんだろうなあ」とか「子どもさんがあまり丈夫でないらしいから、それでお金が必要だったんじゃないか」とかいう声もあちこちで聞かれた。そのくらい部下や同僚から信任の厚い人だった。

しかし、最近になって意外な話を聞いた。半年ほど前に当時の同僚と会ったとき、彼女が言った。
「営業の△△さんから聞いたんやけど、Aさんってすごいパチンコ好きやったらしいね」
えっ、あのお堅い人が?まったくイメージではない。
「たまに仕事帰りに店に寄るとよく会ったらしいんやけど、お金のつぎ込み方が趣味のレベルじゃなくてびっくりしたって。『勝つためにはそれなりの投資が必要だから、一日で十万使うこともある』ってさらっと言われて素人の遊び方じゃないなと思ったって言ってた。人は見かけによらんよねえ……」

これを聞いたからといって「合点がいった」と言うつもりはない。けれども、この話はしこりのように私の胸に残っている。


たとえば、山がある。
西から眺めるのと東から眺めるのとではその姿はずいぶん違うが、どちらが山の正面で、どちらが裏側ということはない。山には表も裏もない。
人間にも同じことが言えるのではないだろうか。
私たちは誰かについてふだん見知っている顔を表と考え、未知の顔を裏だと思いたがるけれど、当人にとってはどの顔も本物であり、すべてが「正面」なのである。

人間はいくつも面からなる多面体であり、ある人について自分が目にすることができるのはそのうちの一部に過ぎない。そして、自分が見たことのない側にどんな面が存在しているかは想像もつかないものだ。
私はそれを思うと、「あの人に限ってありえない」とか「あの人らしくない」なんて簡単に口にできないような気がしてくるのである。

【あとがき】
事件が起こるとワイドショーやなんかで「容疑者にはこんな裏の顔もあったのです……」なんてやるけれど、本人にとっては裏でもなんでもないのだろうなと思います。
たとえば、私について「どんな人物ですか?」と同僚、学生時代の友人、過去に付き合った男性、サイトの読み手に尋ねたとしたら、答えはすべて異なるだろうなと思います。それは私が自分を演じ分けているというわけではなくて、それぞれの人と一緒にいるときに自然に前面に出る顔が違うからですね。でもどれももちろん本当の私であり、どれが表でどれが裏ということもありません。