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2007年03月30日(金) 血液型話

職場で「華麗なる一族」の最終回について何人かで盛り上がっていたら、「たしかに血液型を勘違いしてることってあるよねー」という声があがった。
「いや、ないやろ」とみなが突っ込むと、彼女はこんな話をしてくれた。

娘を出産した病院で「お子さんはA型ですよ」と言われたとき、とても驚いた。自分はO型、夫はB型。そのため、子どももそのどちらかだと思っていたのだ。
「O型+B型=A型?」
一瞬戸惑ったものの、両親の血液型が何であれば子どもはどうなるという知識がなかったので、「そうか、うちの子はA型か」と発見をしたような気分で家に帰った。
しかし夫に話したら、それはおかしいとやはり言う。O型とB型の親からはO型かB型しか生まれない、と生物の授業で習った記憶があるというのだ。そこでネットで調べたところ、本当に夫の言う通りだった。
父親違いの可能性はもちろんない。赤ちゃんの取り違えということもまあないだろう。とすると、親子三人のうちのいずれかの血液型が間違っていることになるが、自分と赤ちゃんのそれは今回の妊娠、出産でわかったものだから確実である。夫があやしい。
「あんた、ほんまにB型なんか?」
疑りの目を向けると、
「当たり前や。オカンにそう言われて育ったんやから間違ってるわけがない」
と自信たっぷり。しかし、献血の経験もなく書面で確認したことはないというので、念のため実家に電話をかけて訊くことに。
「あのさ、俺の血液型ってB型やんな?」
すると、「そうよ、いまさらなに言ってんの」と返ってくるはずが、母からは思いも寄らない答えが。
「さあ、あんたのは知らん」
「知らんて、そんなはずないやろ。むかし、『おまえはB型や』って言うとったやないか」
「ああ、それはな、あんたの性格がお父ちゃんそっくりやったから。でも正式には知らん、産院で訊くん忘れてそのままや」

三十四年間自分はB型と信じて疑わなかった夫は、その後検査を受けてA型と判明したそうだ。


ところで、日本人は自分の血液型を知っていて当たり前だが、聞くところによるとアメリカ人は知らない人のほうが多いそうだ。だから日本人と話していてそういう質問を受けると、「どうしてそんなことを訊くのか。なんの意味があるのか」と訝しく思うらしい。
私たちにとって「血液型」はとても身近だ。自己紹介のときに「私は○型で」と言う人はよくいるし、ためしに見てみたらmixiのプロフィールページにも記入欄があった。
これは血液型による性格分類が世間に浸透していることと関係がありそうだ。そういうテレビ番組は一時大流行したし、雑誌には血液型占いがしょっちゅう載っている。「A型は几帳面、B型はマイペース」というのを誰もが知っているため、話のネタになりやすいのだろう。

けれども、たまにこういう話題に過剰反応を示す人がいる。
飲み会などで「あなたは○型でしょう」だの「あの人は典型的な○型だ」だのとやっているときに、苦虫を噛み潰したような顔で「そんなものに科学的根拠はない!」とか「人間をたった四つに分類なんかできるわけがないだろう」とか言う。何度かこういう場面に居合わせたことがあるが、いつも驚いてしまう。
私は占いを信じないし、心理テストやナントカ診断の類にも興味ゼロの人間だけれど、こういう話題を振られてもべつにどうということもない。A型やO型に比べると私のB型はあまり褒めてはもらえないが、だからといって「性格を決めつけられた」「人格を否定された」とむっとすることももちろんない。
こんなものはほんのお遊び、単なる冗談だもの。「ナンセンスだ」なんて場を白けさせてまで言うようなことではないだろう。くだらないのは百も承知、誰も真剣に四パターンに分けられると思ってやっているわけじゃないんだから。
「そういう会話が血液型差別につながるんだ」と言う人もいたけれど、それほどのことかしらねえ……。もし血液型を理由に誰かのことを本気で「アイツはこういう人間だ」とみなす人がいるとしたら、彼はほかの要素でも------学歴とか職業とか既婚か未婚かとか------枠に当てはめ、中身を決めつけるということをしているはずである。そんな人の言うことにいちいち腹を立てたり傷ついたりしてもしょうがないだろう。

テレビでそういう内容を放送するのは、子どもが見て誤解する可能性があるので私も賛成しない。でも、たかが酒の席での“当てっこ”に目くじら立てるのはちょっと大人げないんじゃないの。
……と血液型話を毛嫌いする人を見かけるたび思うのだけれど、それを言うと場の雰囲気をさらに破壊してしまうので口をつぐんでいる。