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2006年12月15日(金) わが子をいじめから守る方法

今年の世相を表す漢字が発表された。毎年このニュースを聞くと、「ああ、今年も終わりだなあ。私も自分の一年を整理整頓しなくては」という気になる私。
というわけで、今年もやります!私の一字。

* * * * *

二〇〇六年の漢字は「命」。
秋篠宮妃紀子さまの悠仁さまご出産というおめでたいニュースがあった一方で、いじめによる子どもの自殺、虐待死、飲酒運転による死亡事故などの痛ましい事件が多発。ひとつしかない命の重み、大切さを痛感した年であるというのが理由だそうだ。
毎年なるほどなあ、その通りだよなあと感心してしまう「今年の漢字」であるが、今年はいつも以上にしみじみと頷いた。「命」に決まったと聞いて私が真っ先に思い浮かべた今年の出来事といえば、いじめを苦にしての子どもの自殺が相次いだことである。

私自身は今日に至るまで誰かからいじめを受けたという記憶はない。けれども周囲を見渡すと、「実は昔、いじめられていてね。学校がつらくてたまらなかった」という人はめずらしくない。変わったところなどない、ごく普通の人たちである。だからにわかには信じられず、いつも「えっ、あなたが?どうして!」と訊き返してしまう。
いじめを受けるようになったきっかけは驚くほど些細なことだ。汗っかきだとか、ランドセルがお下がりだっただとか、ぽっちゃりしているのに名前が「細川」だとか。テストの点数を隠さなかったことで一部の子から「頭がいいのを自慢している」とやっかまれ、あっという間にクラスのはみごになったという話もあった。
「なにもないところにいじめは起きない。いじめられるほうにもなんらかの問題がある」という意見もときどき聞く。しかし、こういうことでいじめられる子どもにいったいどうせよと言うのだろう。嘘つきでも乱暴者でも不潔でもないのに嫌われ、いじめられるとしたら、それを避ける方法などあるのだろうか。

「避けようなんかない、いじめ体質の子どもはどこにでもいるから。その要因になりそうなことをできるだけ排除することしかできないよ」
と言うのは小学生の頃、やはりいじめを受け、仮病を使っては保健室に逃げ込んでいたという同僚だ。
彼女はいまマンション購入を検討しているが、引越しはなんとしても子どもが小学校に上がるまでに完了させると言う。転校がきっかけでいじめられることを危惧しているのだ。
またある友人は、公立の学校はいじめが心配だから娘は私立の中学に入れるつもりだと言っている。えっ、私立にはいじめはないの?と驚いたら、
「公立よりはずっとましだよ。目に余るときはいじめてる生徒は退学になるからね」
とのこと。なるほど……。
中には時がたてば収まるものもあるだろう。しかし、相手がいじめることに飽きる、あるいは自分のしていることを自覚できる程度に精神的に成長するのを待っているあいだに子どもの忍耐が限界に達してしまう場合もある。
「もしたちの悪いのに標的にされてしまったら、人生を台無しにされる前にこちらが居場所を変えるしかないと思う」
と彼女は言う。なにも悪いことをしていないのに、学校に行くのをあきらめたり転校したり……。これほど悔しいことはない。

先日、日経新聞のコラムで登山家の野口健さんの「いじめと向き合う」というタイトルの文章を読んだ。
野口さんは幼稚園・小学校時代、母親が外国人であるというだけでいじめられ続けたそうだ。「外人のばい菌が移る」と石を投げられ、無視される。ひとりの友だちもできない。読みながら鼻の奥がつんとなった。
しかし、私がへええ!と声をあげてしまったのは野口さんのお母さんの態度だ。野口少年が泣きながら家に帰ると、玄関で誰にいじめられたのかと訊く。誰それにと答えると、母は「じゃあその子を殴ってきなさい」と言ってドアをピシャリ。やられっぱなしで泣いているのではなく、やられたらやり返しなさい、と子どもを躾けたのである。
私はそのくだりを驚きと感心の気持ちで読んだ。なんてたくましいお母さんなんだと思った。
泣いて帰ってきた子どもを家から閉め出すとき、胸が痛まないはずがない。本当は自分がその子どもの家に怒鳴り込んで行きたいくらいの気持ちだっただろう。しかし、心を鬼にして「抵抗もせずやられっぱなしなんて情けない。戦いなさい」と教える。「つらかったね、もう大丈夫」と抱きしめるのが愛なら、それもまた愛だ。

「子どものやることとはいえ、暴力による解決を肯定するわけではない。しかし、いじめをなくす努力と同時にいじめに立ち向かう強い心を持った子どもに育てることも大事だ」
と野口さんは言う。そして文章は「泣きながら帰っても家に入れてくれなかった母の教育に感謝している」で締められていた。
いま学校に通う子どもを持つお父さんお母さんは、わが子が殴られて帰ってきたらどう言うんだろうか。 


さて話はがらっと変わりますが、あなたの今年の一字はもう決まりましたか?
次回「私の一字」について書きますが、その中でみなさんの一字もお伺いしようと思うので、それまでに考えておいていただけるととってもうれしいです。