過去ログ一覧前回次回


2006年12月06日(水) 早生まれは損?

産経新聞社のネットニュースを読んで目からうろこが落ちた。
サッカーのJリーグ・J1所属選手の誕生月を月別に見ると、生まれが四月に近いほど数が多く、四月から六月生まれの選手の数は一月から三月生まれの二・三倍。また、一橋大学大学院の川口大司助教授が三月生まれと四月生まれの人の「最終学歴が四大卒である比率」を調べたところ、後者のほうが高いという結果が出た。
一月一日から四月一日に生まれた、いわゆる「早生まれ」の子どもは同級生よりも実質的な年齢が低いため、幼少のうちは体格の面でも体力、学力の面でも不利になる場合が多い。このハンディ自体は学年が上がるにつれ消えていくが、幼少期に「みんなより遅れている」という気分を味わうことによってスポーツや勉強に苦手意識を持ってしまい、それがのちのちの人生にも影響を与えているということではないか------という内容だ(こちら)。

私はこれまで「月齢差」というものを意識したことがなかったので、そんなデータや仮説があるのかと驚いた。記事によると、多くの私立小学校で入試の際、誕生日によってグループ分けをして生まれ月による不利、有利をなくす配慮しているのだそうだ。
なるほどねえ……。今年妹が出産し、その姪っ子に何ヶ月おきかで会っているのだけれど、そのたび成長ぶりに目を見張る。小さいうちほど月齢差が大きなものになることは間違いなく、幼稚園児くらいの頃であればそれは落ちつきや受け答えに表れるだろう。早生まれの子を持つお受験ママにとっては不公平に感じられるに違いない。
しかし、これはいまに始まった話でもなさそうだ。私の知り合いに四月二日生まれの人がいる。でも本当は一日生まれ。親が誕生日をずらしたのだという。
四月二日生まれと翌年の四月一日生まれでは正味一年違うが、学年は同じになる。いまも昔も「幼稚園や小学校でみんなについていけるか」を心配する親心は変わらないのだろう。

……とここまではふうん、へええと聞けたのだけれど。「早生まれは人生において損か、得か」という議論になるとちょっとついていけない。「ひとりっ子と兄弟のいる子、どちらが幸せか」に通じるものを感じる。
Yahoo!投票を見ると、「損だ」が三十五%を占めている。運動や勉強で遅れをとった当時を思い出して、あるいはわが子がそうであることを不憫に思ってそう回答している人が多いようだが、「だから人生損をしている」と言い切ってしまうのは少々寂しい気がした。これが苦労の渦中にいる子どもへの質問の結果であるなら、そっかあと相槌を打てるのだけれど。
たしかにその昔、みんなより体が小さかったりなにをするにも時間がかかったりする切なさを味わったかもしれない。けれども、その時期を通り過ぎて二十年、三十年たっても「ははは、べつに損も得もないよ。幼稚園、小学校時代が人生のピークじゃないんだからさ」とはならないものなのかなあ?
私もこれから誕生日を迎えるクチなので四月生まれよりは三月生まれの人に近いが、子どもの頃に自分よりできる子を見て「誰それちゃんは私より○ヶ月も生まれるのが早かったもん」というような発想はしたことがなかった。私が前向きな子どもだったというわけではなく、月齢差というものに気づいていなかっただけであるが、当時そんなことを知っている必要はなかったと思う。

「誕生日が三月三日だから、ひな祭りのお祝いと一緒にされる」とぼやいていた近所の友達はスポーツ万能少女だったし、頭がよくてリーダー格だった男の子も年が明けてからの生まれだった。そういう記憶があるので、私の中には身体能力、学習能力は生まれの早い遅い以外の要因の影響もかなり受けるのだろうという思いがある。
学年は同じでも子どもの条件はひとりひとり違う。いつもお兄ちゃんお姉ちゃんにくっついて遊んでいる子は言葉や運動能力が本来より早く発達するだろうし、弟や妹がいてよく面倒を見ているとか両親が共働きで家の留守を守っているとかいう子も同じ年頃の子より早く自主性や責任感を身につけるかもしれない。男の子か女の子かでも違ってきそうだ。小学生のうちは女の子のほうがおとなびている。
そういうさまざまな要素が反応しあってその子の性格や発育のスピードが決まるのだと考えるから、私が自分の子どもに「あなたは早生まれだからかわいそうね」とか「あなたは四月生まれなのにどうしてできないの」とか言うことはたぶんない。
人間ははじめから平等でなどない。容姿、運動神経、頭の回転の速さ、体の丈夫さ……あらゆる項目についてその恵まれ具合はみな一律ではなく、それこそ生まれたときから不公平だらけだ。
けれども、人は自分に与えられた環境の中でどう生きるかを考えるしかない。月齢差に起因する不利、有利も甘受するところから始まる「生まれつきの個人差」のひとつではないだろうか。


夫の誕生日は三月の末なので、究極の早生まれである。で、念のため訊いてみた。
「それでなんか損したことあった?」
細かいことを気にするタイプでなし、ま、この人にあるわけないわよね……と思っていたのに、「ある!」と勢いよく返ってきたからびっくり。
「みんな免許とってバイクで遊びに行くのに、僕だけいつまでも自転車だった……」
友達のバイクを追いかけて必死に自転車を漕ぐ、ひとりなかなか十六歳になれない少年を思い浮かべたら、切ないやら可笑しいやら。なるほど、そういう不便はたしかにあるわね。
でももうこの年になったら、一年なんて誤差みたいなものだもんね。