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2006年09月27日(水) 献血に行く理由

待ち合わせ場所に向かっていたら、友人から忘れ物を取りに戻るので一時間ほど遅れると連絡が入った。
携帯を持つようになってからというもの、こういうことがしばしば起こるのが恨めしい。が、しかたがない。これから食事をするのに財布を持たずに来られるほうが困る。
さて、どこで時間をつぶそうか。いまお茶を飲むとごはんに差し支えるなあ、じゃあ書店で立ち読み?それとも漫画喫茶……。
と思いながら梅田を歩いていたら、妙案が浮かんだ。
最近夫が新しい献血ルームを発見したと言っていたのを思い出したのだ。オープンしてそう経っていないらしく、広々としていてきれいだったという。
「ヒルトンプラザウエストの十階だって言ってたっけ」

* * * * *

一時間半後、なにをして待っていたのと訊く友人に「献血してた」と答えたら、えー?と彼女。
「めずらしい時間のつぶし方やねえ。献血ってそんな突然の思いつきで行く場所かあ?」
「え、どうして?」
私は献血バスや献血ルームを見かけたときに、じゃあと立ち寄るのが常である。今日は献血するぞ!と意気込んで出かけたことは一度もない。週末に夫と街をぶらぶらしていて、「なんか暇だね」「んじゃ献血でも行こっか」となることもある。でも、多くの人も似たり寄ったりじゃないのかしらん。
と思ったら、彼女は献血の経験がないらしい。病院に診察を受けに行くときと同じように保険証を提示して順番待ちをして……というのを想像していたため、その面倒に痛みをプラスしなくてはならない献血などしてみようとは考えたことがなかったそうだ。
へええ、したことがないと献血をそんなおおげさなものだと思ってしまうのか。

私の献血デビューは高校生のとき。学校に献血バスがやってきて、身体検査の一環みたいに全校生徒が二百mlずつ提供した。いまそんなふうに強制しようものなら問題になりそうだが、当時は世の中がおっとりしていたから「献血をしない自由」うんぬん言う生徒も親もいなかったのだろう。
私はその後もコンスタントに献血しているから、かなりの回数になっていると思う。「誰かに八百mlの輸血が必要な場合、二百ml×四人分の血液より四百ml×二人分の血液でまかなうと輸血による副作用の発生率が半分になる」という話を聞いて四百ml献血に切り替えてからは年に二回しかできなくなってしまったけれど。
「でも四百っていったらコップ二杯やろ。けっこうな量やんか」
と友人は怖気づくが、そんなことはない。針を刺す瞬間以外は痛いこともないし、採血にかかる時間は十分くらい。テレビを見たり雑誌を読んだりしていたら、「え、もうおしまい?」である。
それに私はお医者さんに「水で薄めても使えそう」と言われたことがあるくらい濃い血をしているらしいので、そのくらいへっちゃらなのだ。

最近の献血ルームには漫画や雑誌が置いてあるから、休憩しているあいだ退屈するということもない。今回行った西梅田献血ルームにはインターネットができるパソコンもあった。
しかし聞けば、関東の献血ルームのサービスはそんなレベルではないらしい。新宿東口献血ルームでは希望者はネイルサービスや毛髪診断を、有楽町献血ルームではタロットや手相占いをしてもらえるそうだ。また、ハーゲンダッツのアイスやミスドのドーナツ、ロッテリアのバーガーが食べられるところもあるというからびっくりである。私が行く関西の献血ルームはどこもジュースの自販機が置いてあるだけなので、ちょっぴりうらやましい。

「そんなの餌で釣っているみたいなものじゃないか」
とおっしゃる向きもあろうが、それだけ献血者の減少が深刻だということだろう。少子高齢化や安全な血液確保のために献血条件が厳しくなったことでとくにA型とO型の血液が治療に影響が出かねないほど不足している、という内容の新聞記事を読んだことがある。
とくに冬場は献血バスの前でスタッフのおじさんたちが「本日は○型が足りません。ご協力お願いしまーす!」と声を張りあげているのをよく見かける。献血離れが著しい二十代以下の人たちを献血ルームに呼び寄せようと必死の様が、媚びとも受け取られそうなサービスにつながっているのだろう。
「人の役に立ちたい」という使命感で人が集まってくるのが一番いいのは言うまでもない。が、注射が得意、血を見るのが好きという人はあまりいないであろうことを考えると、ちょっとした“楽しみ”がそこにあるとないとでは人足に差が出ても不思議ではない。

ハンバーガーまで支給することはない、とは私も思う。けれども、献血ルームに立ち寄るきっかけが「のどが渇いたから」とか「歩き疲れたから休憩がてら」であってもちっともかまわないだろう。
輸血で助けられた身内がいるから恩返しのつもりでとか、将来自分もお世話になることがあるかもしれないからとか。そういう思いもないではないが、しかし私が献血をつづけているのはやはりそんな大層な目的のためではない。
「ちょっぴりいいことをした気分になれる」から。人に喜ばれて、おまけにジュースが飲めてのんびりできるとあらば、近くまで行ったら寄ってみようかという気になる。
献血を訴える側に必要なのは、動機に潔癖にならず、「そのくらい軽い気持ちで来てください」と呼びかけて献血ルームを大勢の人が足を運べる場所にすることだと思う。献血は意識の高い一部の人たちのものではなく、「みんなのもの」であったほうがいい。あらためて求めなくても、ささやかな善意は誰の中にもあるだろうから。

* * * * *

ところで、献血者を増やそうとするなら「敷居を低くする」努力とはべつにもうひとつ、考えなくてはならないことがあるだろう。受付時間の延長だ。
十七時半とか十八時までというのでは会社勤めをしている人はまず無理である。また、休日を土日に持ってきている献血ルームも多い。
若い人の関心を引く方向に心を砕くのもいいけれど、このあたりの工夫をすれば意思はあるのに献血できずにいた人たちを取り込めるのではないかと思うのだけれど。