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2006年09月06日(水) オトコの前開き事情(前編)

日曜の夜遅く、夫が出張から帰ってきた。週末返上で仕事だったのだ。
「ビール?それともすぐごはん?」
着替えている夫に問いかけた私は彼がスーツのスラックスを脱いだ瞬間、ふきだした。
「パンツ、前後ろに履いてるう〜〜!」
夫は前開きがお尻についていることを確認して、「……ほんとだ」。
いくらぴったりフィットではないトランクスとはいえ、前後を間違えたらその心地の悪さでわかりそうなものなのに。ズックを左右逆に履いていても平気な子どもみたいで、ちょっとかわいい。

……という話を私は翌日同僚にした。すると彼女がふとこんなことを言った。
「じゃあご主人、昨日一日どうやっておしっこしてたんだろうね?」
そりゃあもちろん……と答えようとして、私は言葉に詰まった。本当だわ、どうしていたんだろう。だって昨日はスラックスのファスナーを下ろしてもパンツの窓はなかったのである。どうやって中身を取り出していたのか。
「なのにご主人、逆に履いてることに気づいてなかったんでしょ。それって不思議じゃない?」

そう言われて初めて、なるほど、変だわと思った。
帰宅は夜の十時過ぎ。朝ホテルでシャワーを浴びて着替えてから十二、三時間経過しており、そのあいだに四回や五回はトイレに行っているであろう。そのすべてが大の用事で個室利用だったため気づかなかった、ということは考えづらい。
しかし一度でも朝顔で用を足していたら私に笑われたとき、彼の反応は「そうなんだよ、窓がなくて焦ったよ」とか「だから今日はトイレが不便だったよ」といったものになっていたはずではないか。
小のときも座ってするという人でもないのに半日以上逆に履いていることに気づかないなんて、たしかに不可解である。

「休日出勤とか言って、悪いことしてたりしてネ」
同僚が冗談めかして言う。……笑えない、ちっとも笑えない。
世の妻たちがこういう状況に出くわしたとき、どう解釈するのかわからないが、私と同僚はこう推理した。
「夫がそのことに気づかなかったのは、パンツを逆に履いてから間がなかった(一度もトイレに行かずにすむくらいの時間しか経っていなかった)ためではないか。つまり、家に帰る前にどこかでパンツを脱ぐようなことをしてきたのではないか」
これは確かめねばなるまい。

* * * * *

夕食後、私はもう一度夫をダイニングのテーブルに呼び寄せ、「あれから考えててんけど、どう考えてもおかしいと思うねん」と切り出した。
「なんのこと?」
「昨日一日中パンツを逆に履いてたことにあなたが気づいてなかったこと」
「まだその話してるの」
「まだその話じゃないわよっ、そのせいで今日は仕事が手につかんかったんやから!」

私は昼間悶々と考えていた「気づかないなんてありえない」と思う根拠を披露した。夫はふんふんと頷きながら聞き、そして言った。
「なるほど。パンツに窓がないとトイレができないのにそれに気づかず一日過ごせるはずがない、さては風俗に寄ってきたか浮気してきたかのときに履き間違えたんじゃないか……って小町さんは考えたわけだね」
「そう、そう」
私はつづけた。
「正直に言って、怒らないから。あ、いや怒るけど。っていうか怒るなんてもんじゃすまないけど。それはともかく、本当のことを言ってちょうだい」

すると、夫がくっくっと笑いだした。
「そりゃあ気づかないよ。だって僕は前開きは使わないから、なくても支障ないんだもん」
「使わないって?じゃあどうやっておトイレするのよ」
「んっと、こうやるの」
夫はその場でズボンのファスナーを下ろし、その“手順”を見せてくれた……のであるが、私は目が点になった。思いも寄らない方法だったから。
夫はズボンの前開きから手を突っ込み、トランクスのウエストのところをがばっと下ろして中身を引っぱり出してきたのである。
そして、自分は前開きを必要としないためそれのあるなしは気にも留めない、だからトランクスを逆に履いていることに気づかなかったのだ、と主張した。


誰に確かめたことがあるわけでもないが、私はハト時計のハトが小窓以外の場所から飛び出すことがないように、男性のそれも必ず前開きから出てくるものと思っていた。
ズボンの中でパンツをずり下ろして引っぱり出す、なんて人がいるとは!

が、そのときふと思いついて、私はタンスから夫のトランクスを何枚か取り出した。どれも前開きのボタンがきちんととまっている。
それを見て、私はようやく「前開きは使わない」という言葉と夫の潔白を信じる気になった。途方もなく横着な人である。もしふだんそれを使っていたなら、ボタンは外れたままになっているはずなのだ。

それにしても驚いた。
夫はドアを開けっ放しでトイレをしたり、暑いからと部屋ですっぽんぽんでごろごろしたりが平気な人である。男であることを差し引いても「恥ずかしい」という感覚に疎い。そういう人だから小用の作法もほかの人とは違っていたのね……。
と納得しつつも、念のため訊いてみる。
「ふつうの人はもちろんちゃんと前開きのところから出してくるんでしょ?あなたが変なだけだよね?」
「知らないよ、ほかのやつがどうしてるかなんて。でも人によっていろいろじゃないの」
「そうなの!?窓から出さない人もいるの?」
「まわりのやつに訊いてみりゃいいじゃん」
「『おしっこするとき、アレをどうやって取り出しますか』って?そんなこと誰に訊くのさっ」


……訊いてみました。 (つづく