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2006年02月24日(金) 夫婦で共通の趣味を持つということ

今月初めからスイスでスキーをしていた義母から、帰国を知らせるメールが届いた。
「お父さんと大滑走してきました。とても楽しかったです。お土産話を期待しててね」

昨春、娘が結婚式を挙げた直後に同居していた姑が亡くなった。子育てと介護から解放され、一気に身軽になった義母はこの一年、まさに“第二の青春”という感じで義父と国内、海外を飛び回っているのだ。
長患いした舅を看取ったら、次は姑が倒れた。十数年に及ぶ介護を一身に引き受けてきた義母の苦労がどれほどのものだったかは、離れて暮らす私にも想像できる。だから、義母には「これからはうんと楽しんでね」と言いたい気持ちでいっぱいだ。
イタリアにも寄ってきたというから、きっとおいしいものも食べてきたのだろう。読みながら顔がほころんだ。

* * * * *

が、その後ふと考えた。
「二十年、三十年後、私は夫にこういう楽しみを与えてあげられるのだろうか」

義父母は学生時代にスキー場のアルバイトで知り合った仲だから、どちらもスキーが大好き。冬になると介護の合い間を縫って滑りに行っていた。
雪が溶けたら、今度はゴルフ。元旦以外の休日はスキーをしているかゴルフをしているかという義父に付き合って、義母もかなりの腕前だ。昨夏はゴルファーの憧れの地、セントアンドリュースのオールドコースの予約が取れたと言って、スコットランドまで出かけて行った。
私はそういう話を、いつもうらやましく思いながら聞く。私と夫はそういった「ふたりで一緒に楽しめるもの」を持っていないからだ。

……というより、私が夫の趣味についていけない、といったほうが正しい。
彼もやはりスキーが好きだ。競技スキーの選手だった両親に二歳からスキーブーツを履かされ、鍛えられた人だから、並みの「上手」とはわけが違う。スキーは数えるほどしかしたことのない私と海外にヘリスキー(ヘリコプターで雪山のてっぺんまで運んでもらって一気に滑り下りてくる)をしに行くような人が一緒に滑ることはもちろんできない。
「じゃあ教えてもらえばいいじゃない」と言われそうだが、人になにかを教えるというのはものすごく根気のいるしんどい作業である。それがわかっているからこちらは気を遣うし、せっかく来たのだから存分に滑らせてあげたいという思いもある。
それで以前スキー学校に入ったことがあるのだけれど、一日や二日の特訓では当然のことながら「焼け石に水」だった。
別のゲレンデで滑るのであれば、それはカップルで混浴のない温泉に行くのと同じようなもの。「私と行っても楽しめないだろう」と遠慮していたら、いつしかふたりで行かなくなっていた。

他にも彼にはバイクやマラソンなどの趣味があるが、これらも私には手ごわい。
行きつけのバイク屋やサーキットに行ったことがあるが、そこはやはり男の世界。人見知りしない私といえども、どこにいたらいいのかわからない居心地の悪さがあった。
彼が千歳マラソンを走ったときは私も十キロの部に出た。同じコースを走ることができたらお互いにもっと楽しいだろうが、私にはフルなんて無理だもの。
「しかたないじゃないか」
夫にはすまなく思いつつも、私はそう開き直っていた。
それに、私にとって共通の趣味とは「あるに越したことはない」程度の認識のため、夫婦にとって深刻なハンディになりうるとは思わなかったのだ。

それでも、夫に「うちには共通の趣味がないからなあ」と言われると傷ついた。
彼が誰かとスキーやバイクのレースに行き、「向こうは奥さんも来てたよ」と話すのを聞くたび、むっとしたり落ち込んだり。夫が“ひとり参加”をかなり残念に思っているのだということを知るのは、わりと本気でつらかった。
共通の趣味がなければ夫婦を楽しめないなんてことはないのはわかっている。けれども、なにかひとつ一緒にできることがあれば生活が一段と楽しくなるというのも間違いない。
「なんにもできない奥さんを選んで失敗したね」
そんな卑屈なことを考えたりもした。
だけどやっぱり、私は「しかたないじゃないか」と思っていた。


けれど、このあいだショックを受けた。
夫が国内のマラソン大会に出るときによく一緒に参加する知り合いがいる。最近再婚し、新しい奥さんに会ったら、「十二月に沖縄で夫婦でフルマラソンを走ってきたわ」と言う。
もともと走るのが好きな女性だったのだろうと思っていたら、マラソンを始めたのはここ数年の話だというから驚いてしまった。だって彼女は四十を過ぎているのだ。
「走ったことなんかなかったんだけど、あの人はマラソンが好きでしょう。だったら私も自分にできる範囲で付き合おうと思って」

頭をがつんとやられたような気がした。フルマラソンが“できる範囲”のことかどうかは別にして、私にはこういう殊勝さが足りないのだなと思った。
義父母のように偶然趣味が同じだったら非常にラッキーであるが、そうでない場合は相手のそれを理解しようとすることもきっととても大切なことなのだ、夫婦を楽しむために。
「子育て」は趣味ではないが、最大の共同作業である。子どもが巣立ってしまったらとたんに夫婦で話すことがなくなった、なんて話を聞くことを思うと、夫婦のあいだに共通の楽しみがあるとないとでは小さくない差が存在しても不思議はない。

自分が付き合えないのだから、と夫が休日にひとりで、あるいは友人と出かけて家を空けるのを不満に思わないようにしてきた。
けれど、彼が私に求めていたのはそういうことではなく、ましてや自分と同じレベルで滑ったり走ったりできることでもなく。ただ、「一緒にしようよという気持ち」だったのではないか。
そういうことを初めてまじめに考えた。

この冬はもう終わってしまうけれど、来シーズンは苦手意識や「私なんかと行っても……」という遠慮はちょっと横に置いて、ひさしぶりに一緒に滑りに行ってみようか。
七歳の義弟の子どもより下手くそだと言われた私だけれど、教えてくれるかしら。