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2006年02月15日(水) ひとりぼっちになる恐怖

週末、友人と会った際に、先日日記に書いた話(八日付「家族じゃないか」)をしたら、彼女が神妙な顔で「私も同じことがあったわ」と話してくれた。
数年前、実家のそばに住む伯母から会社に電話が入り、「あんたのお母さん、今日手術やから、帰ってきてやって」と言われた。頭の中の腫瘍を取り除く大きな手術だと聞かされ、びっくり仰天した彼女はすぐにスーパー雷鳥に飛び乗った。
そのときは「助かりますように」と祈るだけで、なぜ父母は前もって知らせてくれなかったのかということまで頭が回らなかったそうだ。

さて、手術は成功、三ヶ月後に無事退院することができたが、彼女はそのとき初めて親がいなくなった後のことについて考えたという。
「それでときどき不安でたまらんくなることあるねん」
いまは仕事や恋愛に失敗して立ち直れないような事態が起きても、いざとなれば実家に戻ればいいわ、と故郷を保険のように考えているところがある。しかし、親が死んだらそれができなくなる。それどころか、ひとりっ子で従姉妹たちとの付き合いもほとんどなく、独身の自分はひとりぼっちになってしまう------と思ったら、どうしたらいいのかわからなくなるらしい。
これを聞いて思い出したのが、最近マンションを買った年上の友人の言葉。よくそんなお金があったね、と感心する私に彼女は言った。
「もしこのまま結婚できなかったとしたら、私には夫もない、子どももない、生き甲斐にできる仕事もない。親が死んだら自分には確かなものがなにもなくなるんだって思ったら、すごく怖くなって。それならせめて家くらい持っていなくちゃって」

その話をしたら、目の前の友人はしみじみと言った。
「あんたは結婚してるからいいよなあ……」
しかし、即座に「いや、そんなことはない」と答える私。
そりゃあ順調にいけば、「夫」が残る。が、もし結婚生活が破綻するようなことがあったら、私は一瞬で彼女と同じ位置に……いや、もっと後方に投げ出されることになるのだ。なぜなら、彼女は大学を卒業してから正社員で仕事をしているけれど、私はいま明日をも知れぬ派遣社員の身の上だもの。
そのときは私のほうがもっと“ないないづくし”になってしまうのである。

「でもそうは言っても、現実には離婚なんてことにはならないんだしさ」
と彼女は言うが、そんなことはわからない。まわりを見渡せば、離婚経験のある人はいくらでもいるじゃないか。
実際、この五年半を振り返れば、「結婚生活」という名のちゃぶ台を引っくり返したい衝動に駆られたことが何度かあった。後半の人生をリセットしてしまいたいと本気で思い、実家に戻って暮らすとしたらどんなふうになるだろうかと想像した。
たまたまこれまでは「届け出用紙取りに行くの面倒くさいなあ」とか「あ、派遣の契約、更新したばかりだ」とか思っているうちに自分の中で立ち消えになったけれども、この先区役所の近所に引越すようなことがあったら……。

というのはまあ冗談にしても、「うちに限ってそれはない」と言いきれるほど、私はいまいる場所を揺ぎないものにはできていない。
親がいなくなったときの痛手、「なにもなくなってしまう」リスクの大きさは私もあなたも同じ、というのは彼女に調子を合わせて言ったことではない。


連絡をせずに父の見舞いに行ったら、母は帰った後だった。思春期に派手な反抗期があったわけではないけれど、ふたりでゆっくり話すなんて二十年ぶりくらいかもしれない。
父は「この話をしたことは母さんには内緒やぞ」と念を押してから、父と母が最近自分たちのお墓をどうしようかと話し合っていることを教えてくれた。次男である父は新しいお墓を建てなくてはならないのだ。
「永代供養墓」というのを知っているか、と父は言った。身内に代わり、永代にわたってお寺が管理と供養をしてくれるお墓だという。独身の人やお墓を継ぐ子どもがいない夫婦などが利用するもので、他の人と合同で納骨堂に納骨されるらしい。

「ふたりとも嫁に行って、とくにおまえはずっと関西におれるかわからんやろう。そうなったらお墓の面倒みるっていうのは大変なことや。それやったら個人のお墓を建てずにそういう方法もあるなあって母さんとは話してるんや」

帰り道、すまなくて涙が出た。
ふたりも子どもがいて、ふたりも子どもを育てて、それなのにどうして私の両親はそんな思いをしなくてはならないのか。そんな殺生な話があるものか。

……それに。
いつかは親はいなくなり、帰れる家もなくなる。それはしかたがない。
でも、お墓だけは娘に残してください。
そのときいよいよ自分にはなにもない、なんて想像しただけで恐ろしい。