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2006年02月08日(水) 家族じゃないか

日記に父を登場させたことはほとんどないが、母のことはときどき書く。
この年になっても私は母の前ではまったく子どもで、母に追いついたと思えることがなにひとつない。
当然だ。いまの私と同じ年のとき、母はすでに小学六年生と四年生の姉妹の親をしていたのだ。いつまでも自分のためだけに生きている私とは違う。いつも明るく働き者で親として娘の手本であろうとする母を、私は心から尊敬している。

その母を強い口調で責めてしまった。
正月に帰省したとき、ひょんなことから父が近いうちにある手術をするかもしれないことがわかった。病気のこと自体知らなかったので驚いて母に確認すると、
「おおげさな話ではないんよ、お医者さんにも手術はしてもしなくてもかまわないって言われてるし。でもいまの状態では不便だから、する方向では考えてるけど」
ということだった。そのため私はこのひと月、何度となく「することに決めたら教えてね」と頼んでいた。
が、その件についてのメールの返事が一向に来ないので昨夜電話をしたところ、入院は明日からだと言うではないか。手術は翌日、退院はその一週間後。

「ええっ、明日!?決まってたんなら、なんでもっと早く教えてくれんかったん!」
「だって心配かけるだけでしょう。手伝ってもらうようなこともないし、見舞いに来てもらうほど長く入院するわけじゃないし、退院してからでいいかなと思って」
「そういう問題じゃないやろっ。そりゃあ離れてて役に立てることはないかもしれんけど、だからって結果を報告したらそれでいいって話とちゃうやん。心配かけたくないって言うけど、それは思いやりとは違うと思う!」

こんな調子で言い返すなんてここ十年なかった。母はひどく驚き、慌てていたようだった。
電話を切った後、情けなくて涙が出てきた。大層な病気ではないから済んでから話せばいいと考えたのだということはわかっている。よかれと思ってのことだというのも理解している。
でも、あまりにも水くさいじゃないか……。
一年前、「友達親子」というテキストの中で私はこう書いた。

(義母は)義妹の前で涙し、愚痴をこぼし、弱い部分を遠慮なく見せる。娘に甘え、頼っているのだ。私の母は体調を崩しても心配をかけまいと私や妹には知らせようとしないが、そういう水くささがない。それは娘の立場では少々うらやましい。

手術が簡単とか難しいとか、手が必要とかそうでないとか、そんなことは関係ない。こういうときに「知らせておかなきゃ」と思い思われる関係で、私はありたい。だって私たちは家族じゃないか!
一緒に住んでいないからといって、「そうそう、あの話だけど無事終わったからね」では寂しすぎる。
余計な心配をかけたくないというのはわかるが、その方向での気遣いはちっともありがたくない。娘にとってそれは“余計”なことでなどないのだから。そのことは立場を置き換えたらわかるはず。

実家のそばに住む妹にもやはり知らされていなかった。
「昼間家行ったときもなんも言ってなかった。いつもそう、こないだだって……」
と言いながら、しくしく泣きだした。
少し前に母が帯状疱疹にかかったとき、私はたまたま「今週末、実家帰るね」と電話をかけた。そうしたら都合が悪いようなことをもごもご言うので理由をしつこく訊いたところ、やっと教えてくれたのだ。もしそれ以外の用件の電話だったなら、話してくれてはいなかっただろう。
そういうことではないとわかっていても、「私はそんなに頼りにならない娘なのか」と卑屈なことを考えてしまう。

* * * * *

電話を切ってしばらくして、父からメールが届いた。
「心配をかけまいとしてしたことが、すまんかった」
メールはいつも母からなのに、パソコンが得意でない父が送ってきたということは母は相当落ち込んでいるのだろう。
夫も私に肝心のことを話さない、事後報告の人である。誰も彼もどうしてこうなの?家族ってなんなんだろうと思ったら、悲しくなってつい言いすぎてしまった。
今日謝らなきゃ……。