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2005年03月11日(金) 友達親子

梅田のショッピングモールを歩いていたら、突然「小町ちゃん!」と声がかかった。
振り返ると、数メートル向こうで年上の友人が手を振っている。あら、偶然……と近づきながら、彼女の傍らに年配の女性が立っていることに気がついた。会釈をすると、「いつも娘がお世話になって」と返ってきた。

「今日はひとり?」
「うん。買い物?」
「おいしいお店ができたって聞いて、ごはん食べに来たの」

彼女の話にはしばしば“ママ”が登場する。友人は四十を過ぎているが、いまでも母親と一緒にショッピングに行っては服や靴を買ってもらうという。「親っていうより年上の友達って感じ」と彼女は言い、子どもの頃に叩かれたことも一度もないのだそうだ。
ひと目で彼女の母親だとわかったのは、顔もさることながら雰囲気がそっくりだったから。友人がごく自然に母親と腕を組み、楽しそうに歩いて行くのを見送りながら、私はなるほどなあと頷いた。

母親を「ママ」と呼び、服やバッグを貸し借りしたり、ふたりで旅行やコンサートに出かけたりする女性は他にも何人か知っている。
彼女たちにとって母は感性や価値観が似ていて気が合い、恋愛の相談も含めて何でも話せる存在。目線は上ではなく、水平だ。
そう、“友達親子”というやつである。


林真理子さんのエッセイの中にこんなくだりがあった。
「私は今、八十六歳になる母を心から尊敬し、そして畏れている。いくら中年になっても、母は私にとってとても怖い存在なのである」

私はこの一文をかなり親身に感じることができる。これほどまでの威厳はないが、私にとっての母もこういう存在である。
子どもに心配をかけることを嫌って、涙を見せたり弱音を吐いたりしない。祖父母が亡くなったときも同じ時期に結婚した私と妹をいっぺんに家から送り出したときも、気丈にふるまった。
いまも昔も“親”以外の何物でもない。いつも毅然としていて、娘の手本であろうとする“母親”だ。

そんな母を持つ私にとって、友達のような親子関係がぴんとこないのは無理のないことであろうと思う。
友人が母親のことをまるで姉のような風格で「あの人、子どもっぽいとこあるからねえ」なんて言うのを聞くと、私には一生できない表現だなと思う。私はこの年になっても母の前ではまったく子どもであり、母に追いついたと思えることが何ひとつないのだ。
先日義妹の結婚パーティーで、彼女は母親にこんな言葉をかけた。

「お母さん。あなたは私の一番の親友です」

これを聞いたときも、私は自分と母との関係と義妹と義母とのそれの違いを感じた。私にとって「あなた」というのは同輩、つまり対等な立場の人に対して使う言葉である。
友達親子の娘が母親に尊敬の念を抱くことはあっても、“畏れ”はおそらくないだろう。親子関係にそれが必要であるかは別として。
そして、その感覚は私にはわからない。仲が良いこと、親が子どもの「個」を尊重することと、親子の立ち位置が同じになることは、私にとってイコールではない。
親と子は違う。その関係はあくまで上下なのだ。

しかし、「親らしい親」であろうとすることは大変しんどいことであろうなと想像する。
自分に正直に生きられない場面にも少なからず出くわすはずだ。我慢しなくてはならないことも生じるだろう。たとえば、もし母親が子どもの前で姑の愚痴をこぼしたり夫とケンカをしたりといったことをするとしたら、それは彼女の中に子どもへの信頼に加え「甘え」があるからではないだろうか。
年を取ったからといって、人の親になったからといって、「責任から解き放たれて遊びたい」という気持ちが消えてなくなるわけではないだろう。好ましい、好ましくないということではなく、友達親子の母親というのはこの「若い頃のように無邪気でいたい」に忠実なのだろうな、というふうに私は感じている。


林さんのエッセイは先の引用文の後、「こういう私にとって、現代の『友だちのような親子』というのは、本当に薄気味悪い」と続く。しかし、私はそういう親子関係を否定しない。
義妹と義母を見ていると、ふたりが強い信頼関係で結ばれていることがわかる。義母は義妹の前で涙し、愚痴をこぼし、弱い部分を遠慮なく見せる。娘に甘え、頼っているのだ。私の母は体調を崩しても心配をかけまいと私や妹には知らせようとしないが、そういう水くささがない。それは娘の立場では少々うらやましい。

が、そうは思えど。いつか親になることがあったなら、私はやはり「強く正しい母親」を目指すのだろう、友人でも姉でもなく。
等身大の自分であることよりも、「親としてこうあるべき、こうありたい」に従おうとしてきっともがく。おそらく私の母もそうであったように。……そんな気がする。
そして、私はもうひとつ気づいている。この予感と子どもを持つ決心がなかなかつかないこととは、きっと無関係ではない。