過去ログ一覧前回次回


2005年11月16日(水) どうぞお幸せに。

昼食を済ませ会社に戻ると、休憩室は案の定、紀宮さまの話題で持ちきりだった。
同僚たちはテレビ中継を見ながら、「お似合いやん」とか「年収七百万かあ」とか「今日もやっぱりこの髪型」とか、口々に好きなことを言っている。
私は黙ってそれらを聞いていたのだけれど、「これからは自由に暮らせるんだね、紀宮さんよかったね」というニュアンスのものがけっこうあって、ふうむと考えた。そういうものだろうか。

皇室というところは、たしかにいかにも窮屈そうである。判で押したようなアルカイックスマイルに角度まで決められているのであろうお辞儀とお手振り、完璧な言葉遣いに露出の少ないパターン化したファッション。見ているだけでこちらの肩が凝ってきそうだ。
国民の「模範」としてあらねばならぬ人たちの生活は制約が多いだけでなく、常に注目される。私たち一般人にはとても耐えられそうにない。だから、二十数年間ふつうの暮らしをした後に皇室に入った美智子さまや雅子さまが相当苦労されたであろうことは想像に難くない。

しかしながら、私が紀宮さまに対して「自由の身になりましたね」的な感想を持つことはない。私たちの目にどんなに特殊に映る環境でも、そこで生まれ育った人にとっては当たり前のものであろうと思うから。
乙武洋匡さんは「僕はもともとこう(手足がない)だから、不自由とは思わない」と言う。人は、生まれながらに与えられたものについては「そういうものだ」として受け入れることができるような気がする。言動が制限されるとか常に護衛の人々に付き添われるといった生活も、紀宮さまにとってはまぎれもなく「日常」であり、「そういうもの」であったのではないか。

それでもクラスメイトや同僚の暮らしぶりを見て憧れる部分もあったのではないかな、とは私も思う。
でもだからといって、そういう生活を欲しておられただろうとかそれを手に入れることが幸せだとかいうふうに解釈するのは早計かもしれない。


純白のドレス姿の紀宮さまを見て私が思ったのは、「よく相手を見つけられたなあ」ということだった。
「負け犬の星」なんてことも言われていたが、そりゃあそうだろう、この時代に天皇家の長女と結婚しようなんて男性がそう簡単に見つかるはずがない。なんせ天皇、皇后が義理の両親になるのである、誰だって怖じ気づく。
披露宴中にふたりが雛壇から天皇一家のテーブルに移動したとき、黒田さんの席の目の前は両陛下、斜め前は皇太子さまと雅子さま、左は紀宮さまをはさんで秋篠宮さま、右は紀子さまだった。
それを見て、「そうか、クロちゃんはこれからこの人たちと親戚付き合いをするんだなあ」と思った。たとえ紀宮さまがすごい美人だったとしても、夫探しは難航していたにちがいない。

そんな中で、本当にいい相手に出会えたものだ。夫が見つかっただけでもすごいことだと思うのに、黒田さんという人は紀宮さまにとって最高の条件の男性ではないだろうか。
結婚準備のひとつとして、初めて財布を用意したとかゴミの出し方を教わったとかいう話があったが、これから紀宮さまは美智子さまや雅子さまが経験したのとはまた別の苦労をすることになるだろう。しかし、夫が兄の学友で皇族の生活を一般人よりはずっとよく理解している男性であるという点は、大きな救いになるような気がする。

しかしながら、私がその勇気というか度胸というかに脱帽したのは黒田さんに対してだけではない。
紀宮さまは皇籍を離れ、民間人になる。それはなにがあろうと後戻りできないということだ。ふつうのカップルなら嫌になれば別れることもできようが、この結婚は「やーめた」をすることはできない。
なにかをこれからはじめるというときに「もし失敗したら……」なんてことは考えない人が多いと思うが、もう戻る場所はないとなれば、そういうわけにもいかなかったのではないか。
嫁ぐ朝、美智子さまが娘を抱きしめながら「大丈夫よ」を繰り返したという話を聞いて、そんなことを思った。

* * * * *

「この人はきっと本当にいい人なんだろうなあ……」
とむかしから思っていた。最近「ドンマーイン」の話を聞いたときも、あまりにも“らしい”感じがして笑ってしまった。

“結婚”というものをしている女性のひとりとして、幸せになってほしいと心から思う。おめでとうございます。