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2005年11月14日(月) まさかとは思うけど

聞けば、「本は文庫化されてから買う」という人は意外と多い。
私もそのひとりで、ハードカバーの段階ではめったに買わない。書店の平台に並んでいるのを見て、いますぐ読みたいなあと思うこともあるにはあるが、本は家にいるときより外で読むことのほうが多いため、持ち歩きづらいようなものでは困るのだ。
そんなわけで、うちの書棚に並んでいるのは文庫本ばかりである。

が、これでは当然のことながら、文章をタイムリーに読むことはできない。そのため、最近こんなことがあった。
中村うさぎさんの『愛か、美貌か』というエッセイを読んだ。うさぎさんがお気に入りのホスト、「春樹」を店のナンバーワンにすべく大金をつぎ込んだ、三ヶ月間のホストクラブ通いの記録である。これは三、四年前に『週刊文春』に掲載されていた連載が文庫化されたものだそうだ。

さて、初出を知らず文庫本で初めてそれらの文章を読んだ私は、うさぎさんがホスト遊びから足を洗うくだりに「あれ?」と首を傾げた。
出版社からは三年先に刊行予定の本の印税まで前借りしたが、それでも資金が底をついた。「お金がないからもう店には来られない」と彼に告げ、最後の夜、一本百万円のブランデーを入れてホストクラブで放蕩する日々にピリオドを打った。
……と本にはある。しかし、私は半年ほど前、たまたまどこかで手に取った文春のうさぎさんのページで、「春樹」という名のホストが自宅に怒鳴り込んできた、という話を読んでいた。
「美しい男は怒ろうがなにをしようが、やっぱり美しいのだなあ。だけど人間、顔だけじゃあねー」
といった調子の、皮肉たっぷりの文章だったと記憶している。その頃私はまだうさぎさんのエッセイをほとんど読んだことがなく、ホスト通いをしていた時期があったことも知らなかったので、「ふうん、なんか知らんけど、そのホストとよほどのことがあったんだな」と思った。
そのことを思い出したのである。

出会ったときは店の十四位だったのを二位にまで押し上げるくらい、うさぎさんはそのホストを可愛がった。そしてお金を使い果たし、「私がいなくなってもがんばってね」「うん、今までありがとう」で綺麗に終わったように本には書いてあるのに、なにをどうしたらそれからこんなドロドロした展開になるのだろう?
文春誌上では掲載済みで、現在文庫化されるのを待っているエッセイの中に、その「よほどのこと」について書かれたものがあるのだろう。
気になる、気になる……。

と思っていたら、今月号の『婦人公論』を読んで謎が解けた。うさぎさんの「暴走する私は、どこに向かう」という手記の中に、そのホストとは“続き”があったことが書かれていた。
彼はうさぎさんにはまだまだ金があると睨み、作戦を変えたらしい。「色恋営業」、つまり愛を告白してきたのだ。
もちろん最初は信じなかったが、「俺がホストだから信じてくれないんだね」と悲しげに言うのを見て、見事術中にはまってしまった。若い男に愛されているという恍惚と、騙されているのかもしれないという苦悩。「いいや、自分は愛されているのだ」という幻想にすがりつくために、さらにお金を遣うことになった。
しかし、その後なにもかも嘘だったことが発覚、自分の男を見る目のなさに愕然とした------という内容であった。

なるほど、相手が家に乗り込んできたというのはそのゴタゴタの最中のことだったのね。


ほかの作家のエッセイであれば古い話、新しい話を前後して読んでも支障はないのであるが、うさぎさんの場合は少々事情が違う。恐竜の生きた時代が三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に分けられるように、うさぎさんの人生にも「紀」があるからだ。
かつては「ショッピングの女王」と言われ、破滅的なお金の遣い方をすることで有名であったが、その買い物依存症が落ちついたと思ったら、ホストに溺れた。結果はお金のみならず女としての自信まで失い、そうしたら次はそれを取り戻そうと美容整形にはまった。顔にはメスを、胸にはシリコンを入れ、若さと美しさを得たら、今度は「自分には女としての価値がどのくらいあるのか」を知りたくなった。そしてこの夏、デリヘル嬢体験をしてみたそうだ。
『婦人公論』の手記を読んだら、彼女の内部の変遷が実によくわかった。

……しかしなあ。
この一連の行為を「自分探し」「自己確認」だと説明されても、露悪的なエッセイが人気の作家である。ここまでやることがエスカレートしてくると、さらなる刺激を求める読者の期待に応えて……的な部分もあるのではないか、なんてことがちらっと頭をよぎる。
まあ、まさかそんなことではないとは思うが、もしもそうだったら怖い。だって、これ以上派手で世間の注目を集めることといったら、あとは自殺くらいしか思い浮かばないんだもの。