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2005年10月12日(水) 約束の残骸

電車で座っていたら、前に若い男の子が立った。
でれんだらんとした格好が見るからにいまどきの子という感じで、でもなんとなく可愛らしい。「十八、九かな?」と思いつつ何気なく視線を落とすと、彼の足首に紐状のものが巻かれているのに気がついた。
「こ、これは……」

驚いた。だって、“ミサンガ”がいまも存在していたなんて!
別名プロミス・バンド。コットンやウールで編まれた手首飾りである。自然に切れると願い事が叶うとされ、十数年前、私の大学時代にお守りのように身につけるのが流行っていたのだ。
あ、でも私たちの頃はみんな手首に巻いていたけど……と思い、顔を上げたら、彼の左手には時計、右手にはホワイトバンドにピンクバンドにイエローバンドが。なるほど、足しか空いてないってわけね。
だけど、どこに巻こうがミサンガはミサンガ。目の前の男の子は当時の私とちょうど同じくらいの年だ。私はなんだか無性にうれしくなった。

私自身はミサンガはつけなかった。でも、巻いてあげた。
アメ村で路上にずらっと並べられたミサンガの中から、彼は青と黄とオレンジと……とにかくものすごくにぎやかな色合いの一本を選んだ。
ちょっと派手すぎるんちゃう?と笑ったら、「目立つほうがええねん」と言って、その場で腕を突き出した。
その言葉にたぶん彼がこめた気持ちを想像して、私はニコニコしながら結んであげたのだった。

* * * * *

先日『探偵!ナイトスクープ』で、ミサンガに特別な思い出があるという十九歳の男の子からの依頼が取り上げられていた。
小学五年生のときに片思いをしていた女の子にミサンガを結んでもらったが、その後すぐに転校してしまったため、気持ちを伝えることができなかった。それから十年経つが、ミサンガはいまも手首に巻かれたまま。これがある限り、彼女を忘れられないような気がする。もうすぐ二十歳になるので会って気持ちを伝え、答えはどうあれ彼女にミサンガを切ってもらいたい。どうか彼女を探してください------という内容だった。

松村邦洋探偵の尽力で十年ぶりに再会できた彼女は、彼にミサンガを巻いてあげたことを覚えていなかった。しかも付き合っている人がいるという残念な、でも予想通りの結果。
しかしほろっときたのは、ハサミでミサンガを切ってもらった男の子が「なんか手首がスースーする」なんてことを精一杯の作り笑顔で言っているうちに、しゃがみこんで泣きだしたからだ。

「ありがとう、ありがとう……。よかった、これで終わった……」

擦り切れ、色褪せ、ぼろ雑巾のようになっていたミサンガ。でも、自分ではどうしても切ることができなかった。見るたび彼女を思い出して切なかったろうし、このまま他の誰も好きになれないのでは……という不安や焦りもあったに違いない。
涙の成分は無念より安堵ではなかったか。それらから解放されてこれで新しい一歩が踏み出せる、という気持ちが大きかったのだろうと思う。


小説やドラマの世界には、男と女が恋人時代に交わした「十年後の今日、この木の下で会おう」的な約束がしばしば登場するが、現実にはそんな約束はむやみにするものではないなあと思う。
互いがそれを心に持ち続け、再び出会うことができたならそりゃあ素敵だけれど、そんなドラマティックな展開にはまずならない。何年後の今日だとか何歳の誕生日だとかが訪れたときにようやく、自分が後生大事に抱えてきた「約束」という名の箱の中身が空っぽだったことに------可能性はとうの昔に失われていたのだということに------気づくのがオチだ。

私がミサンガを結んだ同い年の彼は社会人になったとき、「二年後、必ず迎えにくる」と言い残して大阪を発った。あれから十一年半経つが、まだ迎えにこない。
「あなたの一年はいったい何千日でできてるわけーー!!」

……なあんて。
もらった指輪が、私の“ミサンガ”だった。
思い出や約束の残骸に人はしばしば心を縛られ、過去に足止めされる。けれど、もう、ひとつの“空箱”さえ手元にないいまとなっては、あの日々もまた懐かしい。