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2005年07月25日(月) 本音とはいえ

林真理子さんのエッセイに、生きている魚介は料理できないという話があった。
知人から生きた伊勢海老が送られてきたが、怖くてダンボール箱を開けることもできない。結局、友人に頼んで茹でてもらった、という内容である。

それ、わかるなあと相槌を打つ。
私もそうなのだ。スーパーに行くと、蓋に空気穴の開いたパックの中で、車海老がおがくずをガサガサいわせていることがあるけれど、「まっ、活きのいいこと。じゃあ一パック……」ということにはぜったいならない。
実家の母は貝類を料理するとき、いつも「ごめんね」と言ってから火にかけていたが、それもできない私はシジミの味噌汁もアサリの酒蒸しも夫に食べさせたことがない。

ついでに言うと、活け造りもだめである。「体」を器にして刺身が盛られている、あれを見るとなんとも言えず切ない気分になる。
幼稚園くらいのとき、料亭のようなところで親戚の集まりがあった。なにかの祝いの席だったのだろう、豪華な舟盛りが運ばれてきた。大きな鯛の頭に目を丸くしていると、五つ年上の従兄が「これ、生きてるねんぞ」と言って白い身の上でレモンを搾った。すると、それまでぴくりともしなかった鯛の尾が突然、ビクビクッ!と動いた。
「いま、すごく痛かったんだ……!」
当時の私が「傷口に塩」という言葉を知っていたわけはないけれど、転んですりむいた膝にレモン汁をかけられたらどんな具合になるか、くらいのことは想像できた。

そのときのショックは相当のものだったようで、大人になってからも宴会や旅館の夕食で活け造りが出てくると、「ごめんよ」と手を合わせたくなる。いまにもまばたきしそうな魚の目を見ることができない。
そんなわけで、うんうん頷きながらエッセイを読んだ私である。

* * * * *

しかしながら、実は少々心に引っかかった箇所もあった。
送り主からの電話で、間もなく届くダンボール箱の中身が生きていると知ったとたん、林さんはすっかり気が重くなり、誰かにあげようかと思ったという。「(箱を開けることができず)伊勢海老は一日中リビングにほったらかしにした」という記述もあった。

えっと驚いた。「それってちょっと礼に欠けるんじゃないのかなあ」という思いだ。それを贈った人が読んだら気分を害するか、すまないことをしたと恐縮するのではないだろうか。
「もらえるものはなんだってありがたい」という時代ではない。林さんのところには読者からもいろいろな届きものがあるだろうから、なおさらそうかもしれない。だから、苦手なものを贈られて困惑するのも無理はないと思うのであるが、しかしこんなふうに「書く」というのはどうなんだろう。
身内に「困っちゃうわ」とぼやいたり、先方に「今後はこういうものでないほうが助かります」と直接伝えるのは、まったくかまわないと思うのだけれど。

私が送り主に同情せずにいられなかったのは、誰かにものを贈るということがいかにむずかしいかをつくづく感じているからである。
結婚二年目の頃、こんなことがあった。タコの刺身が好物の義父の父の日のプレゼントにしようと、明石の「魚の棚」で生タコを注文したところ、店の手違いで夫の実家に届けられるべきそれが私の家に配達されてしまった。
店に電話をかけると、すぐに発送し直すので届いたものは召し上がってください、とのこと。「わあい、得しちゃった!」とさっそく私はタコを掴んだ……のであるが。
あのスライムのような物体を皿一枚分の刺身にするのに、ゆうに二時間かかったのである。

塩をすり込んでぬめりを取り、墨袋を取り除き、皮を剥き、身を削ぐ。私はそのとき初めて、タコの処理がこんなに手間暇のかかるものであることを知った。
蟹を餌にして育った明石のタコは格別の味だと聞いていた。義父が喜んでくれるだろうとそれまでにも何度か生タコを送っていたのであるが、家事と仕事と介護で多忙な義母には気の利いた贈り物ではなかったに違いない。
早い段階でそのことに気づけたのはよかった。しかし以来、母の日父の日、中元歳暮の時期がやってくるたび、私は頭を悩ませることになった。


昨日の読売新聞の投書欄のテーマは、「お中元」。受け取る側、贈る側の本音が並んでいた。
「毎年ハムを贈ってくれる人がいるが、わが家には食べる者がいない。暗に伝えようとするのだがわかってもらえず、ありがたさを感じなくなってしまった」
「上司の家に引越しの手伝いに行ったら、中元の品が開封もされぬまま山と積まれていた。さほど感謝されることもなく、中元とは心のこもらない贈答の習慣だなと思った」

喜べるものをもらうのも喜ばれるものをあげるのも、本当にむずかしいのだ。