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2005年05月17日(火) 無理なことは無理だから

就職活動ならぬ、“結婚活動”に精を出している友人と会った。
彼女は結婚相談所に入会している。当初は月費やイベント参加費がばかにならないといって「なんとしても一年以内に」と意気込んでいたのであるが、思うように成果が上がらず、今月の終わりに二年目に突入する。その間には「お付き合いしている」と言えるくらい逢瀬を重ねるに至った男性もいたのだけれど、話はまとまらなかった。

こう言ってはなんだが、「こんなはずじゃなかったのに〜!」と地団駄を踏む彼女の話はとても面白い。
彼女が登録しているのはその業種では大手のところである。しかし、よさそうな人いる?と興味津々で訊く私に彼女は悲しげに首を振る。カップリングパーティーに参加するたび、女性を見て「どうしてこんなかわいい人がこんなところに来ているの!?」と驚くのに、男性に視線をやるとものすごく納得してしまうことが多いのだそうだ。
カウンセラーに「うちは結婚できない方が入るシステムではなく、きちんとした方がさらに良いお相手を見つけるためのシステムなんです」と口説かれ、いくつかの候補の中からその相談所を選んだ彼女は「『看板に偽りあり』やわ、ジャロにちくらな」とぷりぷりしている。
が、いまさら入会金を払い直して別のところに鞍替えすることもできない。彼女はあらたな目標を「年内」に設定した。


さて、彼女の話を聞いていると「こんな人がいい」ではなく、「こういう人はパス、ああいう人もちょっと」という具合に消去法になっていることに気づく。
「贅沢は言っていられない」と言いつつも、本音は「高いお金払って、条件の悪い結婚なんてできない」というところにある。「これこれこういう人」と決め打ちするより、「これこれこうでない人」の中から絞り込んでいくという攻め方をしたほうが賢い、ということなのだろう。
もっともだと思う。条件というと傲慢に聞こえるかもしれないが、彼女は相手の容姿や出身大学に注文をつけているわけではない。たとえば、離婚経験はあってもいいけれど子どもがいたらノーとか、自分は長女だから同居を希望したり転勤が多かったりする相手は不可といったような、あらかじめ自分には無理だとわかっている事柄の表明である。
そういう人を好きになっておいてあれは嫌、これは嫌と言っているわけではないから、それはわがままでもなんでもない。そういう苦労はしたくない、自分には耐えられそうにないと思うことがあるのなら、最初からはっきりさせておいたほうがよいのだ。

そして、そういった「この部分は譲りたくない」というものを最後まで譲らずにすむのが、結婚相手を“まだ見ぬ人”から探す人の強みだと思う。
恋愛から結婚に発展するケース、つまり好きな人ありきの場合、一緒になりたい一心で無理を呑んだり自信もないのに見切り発車してしまったりということが起こりがちであるが、出会ってもいない人のために譲歩をしようなんてことは誰も考えない。相談所からの紹介や見合いで相手を探す場合は、条件が一致しない人とは出会い自体がない。
自分には無理そうだと思ったことは、やってみたところで「結局やっぱり無理だった」になることが多いような気がする。もう好きになっちゃったというのならともかく、いろいろなことを譲らなくては結ばれない人をわざわざこれから好きになることはない。


最近、私はよく考える。誰かの妻である、夫であるというのは、その心持ちにおいて「会社勤めをしている状態」とそっくりではないか、と。そのストレスや哀愁はサラリーマンが抱えるそれに通じるものがある気がしてならない。
これだけではなんのことやらさっぱりわからないと思うけれど、どうしてもうまく表現できないので(本当はこれについて書きたかったのだけれど、一日かけても文章にできなかった)、機会があったらあらためて書かせてもらいます。